心を楽にするために振り返る子育て

自分を責めてしまう

心の歴史-分かったこと

「なぜか分からないけど、自分を責めてしまってつらい・・・」

もし、そんな感じがあるとしたら、これから書くことは、何かの助けになるかもしれないと思います。

「自分を責める」って、具体的にはどんなことかを、少し考えてみたいと思います。

始めに、私が考える「自分を責める」という言葉の定義を書きます。

「自分を責める」という言葉の定義それぞれの人が「当たり前だ」と考えている環境に、適応しようとすること

「責める」ではなく、「適用しようとしている」と表現すると、少し出口が見えそうな予感を感じませんか?

つまり、「環境が変われば、実は既に適用している状態なのかもしれない」ということです。

先を続けます。

「自分を責めてしまっている」ときは、例えば、次のようなことが、頭の中をグルグルまわってしまっている状態だと思います。

  • ~でない自分はダメだ、~であるようにならなければならない・・・。
  • ~できない自分はダメだ、~できるようにならなければならない・・・。
  • ~と感じてしまう自分はダメだ、~と感じないようにならなければならない・・・。
  • ~と思ってしまう自分はダメだ、~と思わないようにならなければならない・・・。

そして、次の言葉で締めくくってしまうこともあるかもしれません。

  • こんなことを考えてしまう自分はダメだ。
  • こんな事を考えないようにならなければならない・・・。

このように考えてしまうと、「とてもじゃないけど、今の状態からは、抜け出せない」というような気持ちにさせられてしまって、かなりキツイと思います。

だから、最後の言葉を思い浮かべる前に、次のようなことを考えてみると、何かの助けになるかもしれないと思います。

ここで、少し唐突な質問をしてみたいと思います。

◆ あなたは、空を飛ぶことは出来ません。その事によって、「空を飛べるようにならなければならない」と考えますか?

たぶん、答えは、『No』だと思います。

「出来ない」という意味では、同じことなのに、この差はどうして生じてしまうのでしょう?

それは、「そのことは当たり前だ」と思える雰囲気の違いによるのだと思います。

例えば、医者の家に生まれた人の中には、親の期待によって「医者にならなければならない」という状況に置かれてしまっている人はいるかもしれません。

近所の友達がみんな、アンパンマンのぬいぐるみを持っていたら、アンパンマンのぬいぐるみを持っていない自分が惨めに思えたかもしれません。

でも、親の期待が無ければ、小さい頃からあこがれていた電車の運転手になったかもしれません。

サッカーが流行っていたら、アンパンマンではなく、サッカーボールが欲しいと思ったかもしれません。

つまり、自分が置かれている環境(時代や関わる人)が作り出す雰囲気によって、人それぞれの「当たり前のこと」が違ってくるということだろうと思います。

そして、あなたは、あなたの置かれている環境(置かれていた環境)が作った雰囲気の中で、それが「当たり前のこと」と感じさせられてしまっているのだろうと思います。

つまり、「現実」というよりは、「イメージしている世界」に、大きく影響されてしまうように思います。

だから、「自分を責めてしまうこと」を止めるためには、

「自分自身を見つめる」のではなく、「自分が置かれている(置かれていた)環境を理解しようとする」ことが、きっと、そのイメージをあなたの生きやすいものへと変化させる助けになるような気がします。

そして、「あぁ~、そのような状況だったら、自分がそう思ってしまっていたのも無理はないよなぁ~。そんな状況で、今まで、よく頑張ったなぁ~。ありがとう。」と、自分自身に心から言ってあげることが出来るようになることは、もしかしたら、忘れかけていた本当の自分の気持ちに気づくことにもつながっていくかもしれないと思います。

次回は、『強い心・弱い心』というタイトルで書こうと思います。

『価値観の多様化と心への影響』という内容も、そのうち書いてみたいと思います。

【つづく】

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