心を楽にするために振り返る子育て

お前はトイレで用を足せるようになるのが早かった。

私の経験

「お前はトイレで用を足せるようになるのが早かった。」というのが私の母親の自慢でした。

私が小さいときから、ずっと、母親から聞かされてきました。

子供の頃の私には、その意味が分かりませんでした。

何回も何回も聞かされるので、よく分からないけど褒められているような感じはあったので、私は「自分は普通よりも優れているのかも・・・」と漠然と思っていたような気がします。

でも、今から考えてみると、どうも、「私(母親)の子育ては優れている」と自慢したかっただけの言葉だったようです。

記憶にはありませんが、たぶん、子供の頃の私は、そんな母親の下らない自慢話を何度も何度も聞かされて、「自分の母親はすばらしい母親なんだ」とも、漠然と思い込まされてしまっていた感じがします。

自分の子育ての自慢を自分の子供にする。

どうにも理解できない構図です。

大人になった私は、

  • それは、別に、自慢するような話ではない
  • 更に、それは、自分の子供に自慢する話ではない

ということが理解できて、適当に聞き流すことができます。

でも、子供の頃の私は、何度も何度も聞かされるので、その話の中に自分にとっての意味を見出さなければならなかったのだと思います。

標準との比較

こんなに「お前はトイレで用を足せるようになるのが早かった」ということを自慢にしているところから想像すると、私の乳幼児や幼児のころ、母親は、私の状態と、他の子供たちの標準とを比較して競うことに必死になっていたのではないかと想像できます。

(実際はどうだったのかを聞き出そうとしてこともあったのですが、今まで聞かされてきたような話以外は一切出てこないし、過去に聞かされた話にも何の洞察も加わっていないので、諦めました。)

で、幼稚園のときの記憶 で説明したように、

  • 子供の頃、私が幼稚園に行くのを嫌がったときに、湯飲みを投げつけた理由
  • 大人になった私から、「子供の頃、幼稚園に行くのを嫌がったときに、どういうつもりで湯飲みを投げつけた?」と問われた母親が、「登校拒否になったらあかんから」と悪びれることなく言った理由

が分かったような気がします。

話は、飛びます。

小学校6年のとき、父兄には「子供に勉強をさせるのが旨い」と評判だった先生が担任になりました。

その年、知能指数の検査があって、私が他の子と比べると少し良い結果だったらしいのです。

で、その担任から、私の母親は、「お宅のお子さんは、知能指数が高いから、将来を楽しみにしておいてくださいね」と言われたようなのです。

(この担任のことは、もう少し書きたいことがあるのですが、それは、また、別途・・・)

トイレの自慢話は、「○○先生は、お前の知能指数は高いし、将来が楽しみやって言ってくれた」という言葉に代わり、これまた、何度も何度も繰り返されました。

それ以来、先生や母親の言う「楽しみな将来」という漠然としたもののために、日々を過ごすような感じになりました。

勉強さえしておけば、うちの母親の強烈な責めから逃れられるということもあって、私にとっても、勉強は、いい逃げ場になっていきました。(孤独な逃げ場ですが・・・)

ただ、魔法の言葉(サイト名:読むカウンセリング)で説明した『お前はカホゴだ!』という意味不明な言葉による責めは、相変わらず続いたままでしたが・・・。

私の親心

自分の子供たちは、何かと比較することなく、それぞれの子供なりの成長を、子供のペースに合わせて見守っていこうと思っています。

それは、また、学校の先生にもお願いしたいことでもあります。

私の母親と同じ傾向性の母親や父親をもつ子供は、多くはないでしょうが、少なくもないだろうと想像しています。

ですから、子供たちの未来に苦しいものを背負い込ませないために、他の子供と比較して、親に、変な優越感を持たせたり、逆に、変な劣等感を持たせたりしないように気をつけて欲しいと願っています。

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