心を楽にするために振り返る子育て

しゃべるな

私の経験

あれが幼児決断だったのだろうと思うことが一つあります。

幼稚園入園前の頃だったと思います。

近所のおばちゃんが家に遊びに来ていました。

私は、母親とおばちゃんの近くに付きまとって、嬉しくて楽しそうに何かを話していました。

すると、母親は「うるさい!だまっとき!」と私に言いました。

そして、おばちゃんには「ほんま、この子は、しゃべりなんやから」と嫌な薄ら笑いを浮かべながらいいました。

そう言われたおばちゃんは、黙っていました。

記憶にあるのは、たったこれだけの出来事です。

しかし、そのときの私は、「そうなんだ・・、ボクは話したらダメなんだ・・・」と思い、それを守らなければならないと心に誓ったことを覚えています。

それ以来、私は『話してはいけない子供』になってしまいました。

たぶん、本当はその出来事だけの影響で話さなくなった訳ではないとは思います。

それまでの母親との関係(逆らえば、地下室に閉じ込められる)やその後の関係なども影響しているのかもしれません。

または、フォーメーション のところで説明するような効果があったのかもしれません。

少しはなしは変わりますが、私の母親は、他人の話はほとんど聞かないようなところがあります。

他人の話は適当に聞き流し、自分の言いたいことばかりを話すのです。

その影響だと思うのですが、私には、変な感覚が、今も残っています。

現在の私が、何か話したいと思っても、私にはそれを話し出すために乗り越えなければならない結構大き目の壁があります。

そして、そんな壁を頑張って乗り越えて、せっかく話し始めても、「どうせ聞いてないから、もう話したくない」という気持ちが自動的に生じてしまうのです。

なんとも面倒な感覚を身に着けてしまったものだと思います。

私の親心

自分の子供の成長を見てきて、幼児期というのは、話すことが楽しくて仕方ない時期なのだと感じました。

子供たちは一生懸命に話します。

(小学校に入っても、それは変わらないようですが・・・)

子供が話しているときは、一生懸命に聞こうと思っています。

一生懸命に聞いていると、子供たちは、いろんなことを教えてくれます。

楽しかったことは楽しそうに一生懸命に話します。

悲しいときには情けない表情をして一生懸命に話します。

(子供の頃の私も、きっと、楽しい話、つらい話、たくさん聞いてもらいたかったのだろうと思います。)

親が話し下手でも、子供たちは、勝手に、話し方・話す文章・話す順序など、どんどん上達していきます。

(話し方は教えなくても子供の話し方は上達する、この事実は私にはかなり新鮮でした。)

子供たちは、もともと「一生懸命に話せば、一生懸命に聞いてくれる。だから、人と話すのは大好きだ。」という感覚を持っているような気がします。

そんな感覚を奪い取ってしまわないように、これからも、子供たちの話を一生懸命に話を聞き続けていきたいと思います。

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