心を楽にするために振り返る子育て

私の親心

多くの親は、「自分の子供に、幸せになって欲しい」と心から願っていることと思います。

ほとんどの親がそう思っていると言っても良いのではないかとさえ感じています。

  • 子供には、痛い思いをさせたくない
  • 子供には、つらい思いをさせたくない

心に苦しさを抱えている親なら、「自分の子供には、自分のような苦しい思いを絶対にさせたくない」と、その気持ちがより一層強くなるところがあると感じています。

しかし、そうやって一生懸命に子供のことを考えていても、子供から「クソババー!」「クソジジー!」と呼ばれるようになってしまい、つい「こんなにもお前のことを思ってしているのに、お前は何だ!」と、自分のしてあげていることをありがたがらない子供を、責めたくなる気持ちも理解できます。

でも、なぜ、子供のために一生懸命にしてきたのに、子供から、そんな反応が返ってくるようになってしまったのでしょう?

そんなところを理解するためにヒントになることを願って、『あなたにもある心を回復する機能』から、文章を一部引用します。

分割の生じるカラクリ
心が苦しくなったとき、気持ちに直接働きかけて心を穏やかな状態へ回復することができるということを知らないと、心の苦しみの原因として認識したことの反対だったら苦しくないはずと考えがちになります。
例えば、何か嫌なことがあってつらい気持ちになっているとき、「発表会がなかったら、つらくなくなるのに……」とか「学校さえなくなれば、こんな気持ちにはならなくても良いのに……」といったことを考える感じです。そして、その反対を意識することによって、もともと1つのものを2つに分割する基準線を生じさせてしまい、その一方を問題、もう一方を解決と考えるようになってしまうことがあります。

同じような原理によって、今を幸せでないと認識すればどこかに幸せがあるように感じたり、苦しい人生だと思えば苦しくない人生があるように思えたり、つまらない生活だと思えば楽しいことばかりの生活を追い求めてしまったりするような心理に陥ることがあります。(この分割はこだわりとして現れることがあります。例えば、「人を傷つけたくない」、「人に優しくしたい」、「相手の気持ちを大切にしたい」というようなことに強くこだわっているとき、この分割が生じている可能性があります。)

しかし、このとき意識したことによって生じた基準のどちら側を見ても、何の意味もありません。それよりも、「どうして、一つのものを2つに分つ基準ができてしまったのか」ということを理解しようとすることが大切です。(図18)
なぜ、反対側を意識してしまったのかということについて説明します

それは、

  • そのとき心が苦しいと感じていた
  • 心に直接働きかけて心を穏やかな状態へ回復する方法を知らなかった

という2つのことが原因なのです。
つらい気持ちになっているときに、『心を回復すること』以外のことに対処することで、心の苦しさを解消しようと考えてしまいますと、つらさの原因や問題を探すことになります。問題意識が自分に向かえば、自分を問題のない状態に変えようとし、他人に向かえば他人を問題のない状態に変えようとし、状況に向かえば状況を問題のない状態に変えようとします。そして、それらを変えるためには、それらの現状を打ち消すことが必要になり、問題や原因と認識したことと反対のことに意識が向いてしまうのです。
図18(P121)において、AでもBでも、つらいことは起こり得ます。『Aだからつらく、Bだから満たされる』、『Aだから満たされてBだからつらい』ということにはなりません。いずれの側でも、つらいときはつらいし、満たされるときは満たされます。

例えば、日頃、親に「口出ししないで自由にさせて欲しい!」と訴えていても、状況によっては、「今回のことは一緒に考えて欲しい」と思うこともあるような感じです。自由にさせてあげると言って放置され続ければ寂しいし、いつもいつも自分の考えに口出しされても鬱陶しいのです。ですから、このようにどちらか一方を求めているのではなく、時と場合によるバランスが大切だということなのです。
そのことに気づかずに、片側だけを見続けていると、結局つらい気持ちは生じてしまい、当初の仮説は破綻してしまいます。また、他の人にもそのこだわりを強要しようとすることになるので、逆に、他の人につらい思いをさせてしまうこともあるのです。

また、次のような場合もあります。
Kさんの、同僚のMさんは、Kさんの仕事にミスがあると、いつも、「Kさん、ここ、また間違っているよ」と教えてくれます。Kさんは、Mさんの「また」という言葉にたまらない嫌悪感を覚え、指摘されたところをシブシブ修正しているうちに、Mさんの顔を見るのも声を聞くのも嫌になってしまいました。
Kさんは、思いました、「Mさんさえ居なければ、いい職場なのに……」。
このとき、Kさんは、Mさんの言い方が気になってしまっていて、『自分にミスが多いこと』、『Mさんのおかげで、大きなミスをせずにすみ、とても助かっていた』ということに意識が向かなくなってしまっているのです。そして、Mさんが気に入らないという気持ちによって、

  • Mさんがいるからつらい
  • Mさんがいなければつらくない

というように、『ある・ない』の分割にあてはめてしまって、『ない』の側を望むようになっているのです。Mさんという人ではなく職場ということに意識が向けば、職場が火事になったらいいのにとかいうことを思ったりするかもしれません。また、Mさんがいることが前提となっても、

  • Mさんに指摘されるからつらい
  • Mさんに指摘されなければつらくない

というように考えて、自分が嫌いなMさんを逆に意識して、他に優しいCさんやDさんがいることに気づかなくなってしまったり、職場での時間の大部分を占める『Mさんが指摘しない時間』があることに意識が向かなくなってしまうことになります。

図18(P121)で示すAとかBとかへのこだわりの強さは、それを意識したときの苦しさの程度を表していると思います。もし、何かへのこだわりが強くて困っているときは、過去のとても苦しい状況の中での自分の頑張りを理解しようとしてみて下さい。そして、これまでの反面教師的なこだわりから意識を外して、自分の気持ちに直接働きかけて心を穏やかな状態に回復しようとすることが大切です。

【補足】
分割する基準が人を傷つける
「他の人にはあんな思いをさせたくない」と思っていたはずなのに、そのような思いをさせてしまって、愕然とすることがあります。
本人は、自分を苦しめた基準の反対側にこだわり、これを守ることによって相手に同じ思いをさせまいと努力しているのですが、もう一方では、そのこだわりに反する自分の気持ちを必死に抑えて我慢しているという側面があります。ですから、相手のために一生懸命にしてあげているという意識が強く、なぜ相手がつらい気持ちになるのかを理解できないという気持ちに陥りやすくなっています。
例えば、「人には優しくしてあげたい」と思っていると、かなり高い確率で他の人を責めています。
その人は、他の人に優しく接するために、やりたくもないことを我慢してやろうとしがちになります。そして、そんな我慢が蓄積すると、最後は「(やりたくもないことを、)せっかくしてあげているのに、あなたは何よ!」と、してあげたことをありがたがらない相手を責めてしまったりすることがあるのです。また、そのこだわりから、無意識に他の人にも優しくすることを強要してしまい、優しくしないと自分が感じる人を責めたりすることにもつながります。
純粋に「してあげたい」と思ってすることは、相手が喜ぼうが喜ぶまいが、それをした時点で自分の気持ちは満足するものです。ですから、相手を責めるような気持ちには、まずなりませんし、感謝を強要することもありません。

このように考えてみると、できないことは「できない」と正直にきちんと断ることは、自分に無理を強いて我慢を蓄積することを防ぎ、無理をしなくても自分ができることがある場面では、優しくしてあげられる自分であることを保つことになると思います。また、断わられた人が、それを楽に手伝ってくれる他の誰かに出会える可能性を作ることにもつながるのだろうと思います。

世代を超えて伝わる基準
例えば、親に、「自分の幼少期に厳格な家で育ち、規則に縛られてつらい子供時代を過ごした」という認識があり、「つらい気持ちのまま放置されていたことがつらかった」ということには気づいていなかったとします。このようなとき、親は、「子供を束縛するようなうるさい親にはなりたくない」と心に誓い、自分の子供の幸せを真剣に願って放任主義を貫いてしまうことがあります。しかし、自分の子供の頃の親とは真逆の放任主義にしたところで、自分の子供がつらい気持ちになったときは、「好きにさせているのだから、なぜ、つらいなどいって甘えているんだ。それは、自分の責任なのだから自分で何とかしなさい。」などと言って、自分が親からされたのと同じように子供をつらい気持ちのままに放置してしまい、結局、子供はつらい気持ちを自分一人で抱え込まなくてはいけなくさせてしまうのです。
この『気持ちを無視して、分けられたAやBにこだわる』という習慣は、その家系において世代を超えて伝わってしまいやすいのです。
「なりたくない自分」になってしまいやすいのは、このような理由なのです。基準から解放されない限り、基準の右とか左とか言っていても、結局同じことなのです。

『あなたにもある心を回復する機能』 心の本質(P.120 -125) より

私が、自分の子供に一生懸命にしていることも、実は、「自分が親からしてもらえなかったこと」の裏返しでしかないのかもしれません。ですが、このコンテンツでは、

  • そんな『私がこだわるの親心』
  • 親心の動機になっているだろう子供の頃の経験
  • 理解できない親のしつけ?
  • 今だから理解してあげられる、自分の過去の行動や反応

などを紹介していこうと思います。

子育てに迷う親御さんの参考になることを願って・・・

世の中の子供たちのために・・・

そして、私自身の心を癒すために・・・

【参考】

このコンテンツと ■■私にまとわりつく学習■■ (サイト名:私の理解した心の全て) のどちらに書こうかという迷いもありますので、興味があればそちらもご参照下さい。

また、心の歴史-生い立ち編(サイト名:読むカウンセリング)で書いた内容と重複する部分があるかもしれませんが、今の気持ちの流れに任せて、書いていきたいと思います。

【後記】

色々なエピソードを書いていると、思い出しもしなかたことを次から次へと思い出してしまい、困りました。

いいこともたくさんあったはずなのに、不思議なことに、悪いことばかり思い出してしまいます。

ここから先に書くことは、それが客観的事実かどうかは分かりません。

母親が私にしてきたことは、母親なりに私のことを思い、一生懸命にしてくれた部分もたくさんあると頭では理解することができます。

でも、私にとっては、これから書くことが、真実としての心象風景なのです。

ちなみに、私には、兄弟はいません。(一人っ子です)。

父親も不在がちなので、母親の意識は『ひとりの子供一点集中型』です。

 

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