これが依存症の原点
『依存症』という言葉の印象と、その言葉の社会への浸透度から、現代社会では『依存症』という病気があたかも存在しているように感じてしまいます。
それを病気とする立場の説明は、『依存症』について調べようとすればいくらでも見つけることができるので、ここでは、「病気ではない」という立場で説明します。
依存症と呼ばれている状態の原点は、子供の頃の習慣的な体験にあると考えています。
次のような状況を想像してみて下さい。
【状況】
4~5才くらいの子供が、親と一緒に、ファストフード店で食事をしています。
その子供は、前から飲みたいと思っていた大好きな特性オレンジジュースを買ってもらってご機嫌です。
口は、『おいしい口』になっています。
その子供が、これからそれを飲もうとしたとき、手が滑って、ジュースの容器を床に落としてしまい、ジュースを床にぶちまけてしまいました。
その子は、悲しくて大泣きしてしまいました。
さて、このような状況になったとき、どのように対応すればよいでしょうか?
【対応】
1.ジュースを落とした自分が悪いと我慢させる。
2.新しいジュースを買い与える
3.泣いている子を抱き上げ、あやしながら我慢させる
4.泣いている子を抱き上げ、あやして泣き止ませたあと、ジュースを買い与える
この中に、1つ、『依存症』と言われている状態に似た対応があります。
まず、最も、望ましいと考えている対応は、『3』か『4』です。『3』と『4』のどちらが望ましいかは状況にもよるので何とも言えませんが、『泣いている子供は一人きりにしない』ということが大切です。
ですから、抱き上げなくても、背中をさすったり、頭を撫ぜたりしながら、泣いている子供に寄り添ってあげても構いません。
次に、依存症の状態に似た対応です。
それは『2』になります。
子供は、口では「ジュースを買って!!」と泣き叫んだりするので、それを一番望んでいると思ってしまいやすいところがありますが、実はそうではないのです。
ジュースをこぼして泣いている子供の気持ちを想像してみて下さい。
せっかく、楽しみにしていたジュースをこぼしてしまったことが悲しいのだろうと想像できます。
つまり、ジュースを買って欲しくて泣いているのではなく、ジュースをこぼして悲しくて泣いているのです。
そして、子供は、悲しくなった自分に優しくしてもらいたいのです。
ですから、親は、その悲しさに直接的に働きかけることが大切です。
では、どうすれば、子供の悲しい気持ちに直接的に働きかけることができるのでしょう?
それが『3』と『4』の対応なのです。
『2』の対応では、子供が本当に望んでいることとは別のことで子供の気持ちを収めてしまいます。
親がそのように対処すると、子供は泣く理由を失ってしまいます。
また、子供は、新しいジュースが買ってもらえれば嬉しいので、最初の「あれほどまでに悲しかった気持ち」は棚上げして、泣き止みます。
しかし、これは、「まだ泣いていたい子供を、泣き止むしかない状態に置くことで泣き止ませた」と理解することもできるのです。
これは、自分の気持ちを満たすために本当に求めているものを、それ以外の代用物で満たすという体験です。
この「代用物で自分の気持ちを満たそうとする」ということが、依存症の状態と類似しているのです。
ただ、代用物を用いる全ての対処がダメだと言っている訳ではありません。
手っ取り早く収めたいときには、代用物を用いる方法は、結構効果的です。
しかし、いつもいつも、何から何まで、親が代用物で済まそうとしていると、子供は「本当に望むものではなく代用物を求める習慣」を身につけてしまいます。
このような習慣が、おそらく、将来の依存症という状態の種(タネ)になるのだと考えています。
(この代用物による対処ばかりをしていると、せっかく我々人間に備わっている「泣いてスッキリとする」という行動を封じてしまいます。また、代用物を得るための手段に「泣く」という行動をするようにさえなると考えています。)
このような『代用物による対処』では、気持ちを誤魔化せても、満たすことはできません。
そこで、満たされない気持ちを、また、代用物を求めようと同じ行動を繰り返してしまうのです。
これが、依存症から、なかなか抜け出せなくなるカラクリです。
ですから、依存症から抜け出すために最も大切なことは、『本当の望みに気付くこと』なのです。
そして、私がカウンセリングを通して理解したことですが、その本当の望みは、多くの場合、「誰かに温かく見守られながら泣く」ということなのです。
逆に、子供に、「褒美だ」といって、直ぐに、お金を渡したり、物を買ってあげたりすることがあります。
これも、「ご褒美」を子供の望みの代用物にしないように注意することが大切です。
そのために、どのように対処すれば良いのでしょうか?
それは、親が、子供の気持ちがスッキリするまで、子供と同じようなテンションで、子供の喜びに付き合ってあげるということです。そうしていれば、そのうち子供の喜びは落ち着いてきます。
褒美をあげるのは、その後のことなのです。
まとめると、『何かを感じている子供を一人で放置せずに、子供の気持ちが落ち着くまで、寄り添ってあげることが大切』ということです。
【余談と冗談ですが…】
ファストフード店で、子供がジュースをひっくり返したようなとき、それを店員さんが見つけると、直ぐに、新しいジュースを持ってきてくれることがあります。
親としては、子供が直ぐ泣き止むので非常に助かりますし、子供にとっても嬉しい経験です。
でも、今回の話を、このファストフード店の対応に反映させると、次のようになります。
店員: どうなさいました?
親 : 子供がジュースをこぼしてしまったんです。
店員: 代わりのジュースをお持ちしましょうか?それとも、代わりにあやしましょうか? 親 : じゃぁ~、申し訳ないですけど、代わりにあやして下さい。
店員: かしこまりました。 ジュースこぼしちゃったんだね…。悲しいね、そうかそうか…(ヨシヨシ)
(親の教育方針もあると思うので、親に選択権を与えてみました。)
【補足1】
『4』の対応をしようと思っていても、「買ってあげる」と言うことを口にしない方が良いでしょう。
なぜなら、子供が嬉しくなって泣き止んでしまうからです。
子供が十分に泣いて、気持ちが落ち着いてくるまでは、悲しさを我慢しているような様子を感じたら、「楽しみにしてたのに、飲めなくなっちゃね…、悲しいね、そうかそうか…」と、逆にあおってみるとよいかもしれません。
子供が「ジュース買って!」と言ったら、「そうだよね、ジュース買って欲しいね」(ヨシヨシ)という感じで対処します。
結構時間がかかることもあるので、時間ないときはこんなことやってられませんし、また、毎回毎回これを実践する必要もないと思います。
バランスの問題です。
そして、こんな対応もあるということを知っておくだけで、きっと、何かが変わると思います。
【補足2】
『1』は「甘やかさない」ということにこだわっていると取りがちな対応です。
これは、執着しやすい性格を形成することにつながると考えています。