「子育て」という言葉が創り出す妄想の世界
結婚し子供ができると、「子育て」という義務が発生するといった認識をしている人は多いと思います。
しかし、この「子育て」という言葉はくせ者です。
「子育て」が、具体的にはどのようなことを指すのかが、すごく曖昧なのです。
また、「子育て」とほぼ対になる言葉として「しつけ」という言葉があります。
これもまた曖昧な言葉です。
「しつけ」は、大きく次の2つに分類できます。
- 現代社会において常識だとされている感覚を教え込むこと
- それぞれの人が考える内容の異なることを教え込む
前者は、一覧にすることができるかもしれません。
また、後者も、アンケートをとる中で、浮かび上がってくるかもしれません。
しかし、そうやって具体的な一覧表を作り上げたとしても、その重要度は人によって異なるので、「しつけとは何か?」「そのしつけは必要か?」ということは、結局は明確にできずに曖昧なままとなることが想像できます。
また、国家として何らかの基準によって統一しようとすると、おかしな国家になってしまいます。
さらに、親の生きた時代や環境と、子供の生きている時代や環境は異なります。
子供が、親のしつけや社会の常識を一方的に受け入れたとしても、役立つ保証はありません。
自分自身の子供の頃の経験や、自分の子供とのやり取りを冷静に振り返ってみると、子供が親の言うことを素直に鵜呑みにすることなど、まず、無かったのではないでしょうか。
(あったとしたら、逆に、危険です。その理由はまた別のところで説明します。)
ですから、親は、必要以上に「しつけ」にこだわる必要はありません。
教えておいた方がよいと思うことは、
- それを強要するのではなく、情報として教える
- その情報の活用に関する判断は、子供に任せる(その情報を取り入れるかどうか? どんな場面に取り入れるか? いつから、取り入れるか?)
親の教えた通りにするように子供に強要しようとすると、子供と親の関わりは、お互いにとって苦しいものになります。
そして、子供に何かを強要する親の言うとおりに行動したとしても、決して幸せにはなれません。
そのことは、実は、その親自身が一番知っているはずです。
極論を言えば、食事さえ与えておけば、子供は育ちます。
(感情は、しっかり抱きしめる必要はあります。)
そして、外でのさまざまな経験を通して、自分の生きている時代や生活環境においての、「普通はこうする」「普通はこう考える」といったこと、つまり自分が生きていくうえで必要なことを学習していきます。
それで良いんじゃないかと思います。
ただ、親は、食事だけを与えておけば良いのかというと、そうではありません。
また、親だからこそ与えられている権利があります。
(その権利を行使すれば、親の心は安らぎ、また、子供の心も安らぎます。)
これは、「しつけ」よりも大切で、子供の人生に関わることなのです。
それは、何だかわかりますか?
それは、次項で説明することにします。
最後にまとめです。
- 「子育て」「しつけ」という言葉は、曖昧な言葉で、その実態を明確にすることはできない
- そんな曖昧な言葉(概念)にこだわりすぎると、子供と親の人生にとって全く重要ではないことを身につけさせるために、お互いの時間の浪費を繰り返すことになる
- 「子育て」「しつけ」という言葉から離れ、本当に大切なことに意識を向ける ※次回説明予定