なぜ、親が、「子供が苦しさに追い詰められていること」に気づけなくなるのかを説明します。
(いじめから子供の心を守ることができる親や大人になるために・・・)
その本質を理解するには、幼児期の子供と親の関わり方を振り返る必要があります。
小さな子供が、おもちゃを買ってもらえなくて泣いているところを想像してみて下さい。
一般的に、次の図のように、子供が泣くのは、「自分のわがままを通そうとしている」と認識されることが多いと思います。
子供が泣いていることに対するこの解釈が、将来の子供を追い詰めてしまうことにつながります。
また、親が、子供の気持ちに気づけなくなってしまう根本的な原因でもありす。
(というか、この時、既に、子供の気持ちには気づけなくなっているのですが・・・)
もともと、子供が泣くのは、悲しいからです。
この「悲しい」という感情をうまく言葉で表現できないのは大人も子供も同じだということは、前回の投稿「子供から「お父ちゃんなんか、死んでしまえ!」と言われたら・・・」で説明しました。
でも、なぜか現代の日本では、「このようなときに子供が泣くのはわがままを言っている」という解釈が蔓延してしまっています。
また、そのように育てられてきた親は、子供が泣いていると、反射的にイライラした気持ちになり、子供の頃の自分が親から言われたように、自分の子供を「わがまま言うんじゃありません!」と責めてしまいがちになるところがあります。
「子供は泣いてわがままを言っている」という解釈は、そんな自分の感情的な反応を正当化するためにも活用できます。
そのような解釈を信じた親や大人から、「泣くと責められる」という経験を繰り返していると、やがて、子供は悲しい気持ち・つらい気持ちなどを表現しなくなっていきます。
そして、悲しい気持ち・つらい気持ちなどは、一人きりで耐えようとする傾向が、性格に深く根付いてしまいます。
「苦しさや悲しさは、誰にも言わずに、自分一人で耐えるしかない」と感じてしまう傾向は無意識の中に根付いてしまうため、小学生になったから、中学生になったから、高校生になったから、大人になったから・・・、といって、容易に変わるものではありません。
突然、「つらいことがあったら話しなさい」と言われても、そんなに簡単に話せるものではないのです。
逆に、そんなことを言う人に気持ち悪さすら感じてしまいます。
この傾向性が、周りの人に、その子供が苦しさに追い詰められていることを気づき難くさせてしまいます。
また、親や大人の方も、「つらそうな様子、悲しそうな様子を見ると、反射的にイライラして責めてしまうような人」は、子供が苦しさに追い詰められていることに気づくのが難しいことは、想像できると思います。
ですから、例えば、将来の子供をいじめから守る、社会から守るためには、小さい頃から、子供が泣いていれば、習慣的に抱き上げることが大切だといえるのです。
【補足:その都度役割分担】
これを、ひとりでやるのは、一人二役的な感じになって、けっこうしんどいです。
ですから、夫婦などで役割分担した方が良いと思います。
例えば、父親が子供を叱れば母親が子供の感情を受けとめ、母親が叱れば父親が感情を受けとめる、というように、その場その場でフォローし合う感じです。
感情的になってしまった時も、同じようにどちらかがフォローするようにすれば、子供が心に受けるダメージはかなり軽減されます。
【補足:「わがまま」は親や大人が作る】
ちなみに、親や大人が「わがまま」という言葉にこだわっているのに、子供が泣き叫ぶことに耐えられなくて、子供の要求に応えて黙らせる といった対処を繰り返していると・・・・
子供は「感情的になれば自分の思い通りになる」ということを学習してしまい、正真正銘の「わがまま」と呼ばれる傾向性を身に着けてしまう可能性が大きいと考えています。
このような心の癖がついてしまっても、もともとは「自分の思った通りにならなくて悲しい」という感情から始まることです。
ですから、言葉による要求よりも、その発端となった感情の方に意識を向けて、感情を受けとめてあげるようにしていけば、やがて要求に執着する傾向が弱まっていくのではないかと考えています。
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