心を楽にするために振り返る子育て

心が傷つく

心の歴史-分かったこと

「心が傷つく」という言葉を聞くと、その言葉の意味を当然理解できるような気がしてしまいます。

でも、私は、それは錯覚だと思っています。

もし、それをその言葉のままに受け入れてしまうと、『自分は傷つきやすい心の持ち主なんだ』というような感じがしてしまって、「心が傷つく」ということからは、なかなか抜け出せないような感じがしてしまうかもしれません。

少なくとも昔の 私は、『自分の心は出来損なってしまったから、もう取り返しがつかない・・・』という絶望感に近い気持ちになってしまっていたような気がします。

「心が傷つく」という言葉は、実は、とてもあいまいなままに使われていることが多いのです。

そして、自分の悩みを脇に置いて、この言葉をもう少し具体的に考えるだけでも、希望が少し近づいてくるかもしれません。

「心が傷つく」ということには、2つの場合があります。

そして、その2つが区別できていないと、とても混乱することがあります。

ですから、まず、始めに、その区別をつけることは、とても大切です。

それは、「相手に悪意があるのか、ないのか」による区別です。

もし、何らかの方法で、相手に悪意があることが確認できたとしたら、心が傷つくのは当然のことです。

そして、その相手は「人の心を傷つける悪い人」という結論にしてしまっても良いのかもしれません。

困ってしまうのは、相手に悪意が無いのに、ある言葉を言われたり、態度をとられると、「心が傷ついた」と感じてしまう場合だと思います。

ここで、「心が傷つく」という言葉に対して、私なりの定義をしてみます。

「心が傷つく」の定義

相手の言葉や態度などをきっかけにして、 それを受けとめた側の人が、 その言葉や、それから自分が連想したことによって、 自分自身を責めることを止められなくなってしまうこと

つまり、「傷つきやすい」というのは、実は、「自分自身を責めてしまいがちな傾向がある」と表現できるのです。

そして、もし、自分自身を必要以上に責めることを止めることが出来たら、「傷つきやすい」という状態から、きっと抜け出すことが出来るのです

今回の内容を受けて、次回は『「自分を責めてしまう」ということ』というタイトルで、その次は、『強い心・弱い心』というタイトルで、続きを書いていきたいと思っています。

【つづく】

コメント

タイトルとURLをコピーしました