小学校の記憶 ・・・ 大人の意識の方向
老後の生活
私の経験
私の母親は、私が小学校4・5年生の頃から、
- 「お前の父親は当てにならないから、老後は、お前に面倒をみてもらう。優しいお前が居てくれて良かった」
と何度も何度も、私に言っていました。
何度も何度もというのがミソのようです。
冗談なら、そんなこと何度も何度も言わないと思います。
父親の悪口を年中聞かされていたことも、その発言の真実味が増すことを手伝っています。
冗談だったか真剣だったかは脇において・・・・
その結果、私が、「そうか、優しい私は、老後は母親の面倒をみるんだ」と思ってしまったことは、事実です。
そういや、こんなこともよく言っていました。
「お前が働くようになったら、離婚する。それまでは、我慢する」と・・・。
まとめると、次のようになります。
自分(私)が社会人になったら、母親は離婚するから、私が母親の面倒をみなければならない。
そして、その頃はきちんと認識できていませんでしたが、それは、「(母親に責められて苦しむ)今の状態が、一生続く」ということも意味していました。
なんとも夢も希望もない話です。
「自分の人生は母親のためにある」と無意識に刷り込まれていたのです。
そのくせ、「お前の将来が楽しみだと○○先生が言っていた」と、母親は、勝手に期待を膨らませていました。
思い出しながら、なんか、気持ち悪くなってきました。
よく我慢していたと思います、私・・・。
私の親心
子供の夢を応援しようと思っています。
子供の『将来の夢』の話を、たくさん聞かせてもらおうと思っています。