協力という名の非協力
私の経験
「罰としての父親」と「罰としての私」 で説明したように、子供の頃の私は、父親との接触を避けるように過ごしていました。
そんな父親を避けようとする私に、母親は「とうちゃんが帰ってくる音がしたから、もう向こうへ行っときなさい」といった感じに、私が父親から逃げることをサポートするような関わり方をしました。
父親を避ける子供に、子供が父親を避けることを手伝う母親。
あまり深く考えなければ、母親は子供の味方をしているように思えます。
子供の頃の私も、「母親が自分のことを助けてくれている」と思っていました。
でも、本当は違いました。
父親を避けたい気持ちは前面に出ていましたが、私には、別にもう一つ、大切な本当の気持ちがあったのです。
それは、「父親と仲良くなりたい」という気持ちです。
当時の母親の対応では、こっちの気持ちは、大事にされずに無視してしまっていたのです。
もし、こちらの気持ちを大事にしてもらえていたら、父親と仲良くなれて、逃げ回る必要もなくなっていたことでしょう。
ですから、逃げたい気持ちよりも、むしろ、こちらの気持ちを大事にした方が良かったのです。
でも、そうなると父親に対する罰がなくなってしまうので、母親としては、私と父親が仲良くなることは面白くなかったのだろうと思います。
これは、私がカウンセリングの勉強をしている頃に受けた催眠療法で分かったことです。
その催眠療法を受けるまでは、私は父親が嫌いだと思い込んでいました。
しかし、私はずっと、「父親と仲良くならないで欲しい」という母親の気持ちを感じ取って、父親と仲良くならないように、無意識的に振舞っていたということが分かったのです。
それまでは、全く意識したことのなかった自分の本当の気持ちに、35歳を過ぎて、ようやく気づいたのでした。
私の親心
多くの場合、気持ちは常に葛藤しています。
これは、大人も子供も同じです。
ですから、子供の、片方の気持ちだけでなく、もう一つの気持ち(更に、その他の気持ち)の方にも、きちんと意識を向けるようにしていきたいと思っています。