「トイレット ・ トレーニング」って言葉が誤解を招く
子育ての中で、誰もが「トイレット・トレーニング」という言葉に出合うと思います。
そういう言葉を知ると、
- 適切な時期に「トイレット・トレーニング」をしなければならないのだろう
というような気持ちになってしまいます。
トイレット・トレーニング用パンツというものも売っています。
そこで、我が家でも、「トイレット・トレーニングは夏に行うのが良い」という情報をどこからか仕入れてきて、長男が3才か4才かの夏にトイレット・トレーニングを実施することになりました。
しかし、毎回うまくトイレでできずに、布のパンツに大も小もしてしまいます。
人にもよるのでしょうが、そのたびに、妻は「どうして、言わないの!?」と責め立てて、子供は泣き叫ぶという光景が繰り返されました。
子供も可愛そうなのですが、妻も苦しそうで、見ていられませんでした。
なので、我が家では、トイレット・トレーニングはしないことにしました。
そして、あの痛々しい記憶が薄れたと思われる頃に、次のように対処しました。
- アンパンマンの布のパンツを履かせて、「かっこいいなぁ~!」とか「布のパンツは気持ちいいやろぉ~!」とか言って10分くらい履かせます。
- その後、また、紙おむつに履き替えさせます。
- そして、次のような話をします、「トイレでおしっこやウンチができるようになったら、布のパンツはけるようになるからね」とか「お前が「トイレでやろう!」と思ったら、いつでもできるんだから、やる気になったら教えてね」
こんなことを、時々やるようにしていました。
トイレで用を足すことは一切強要していませんし、「トイレでしてみたら?」などと促すようなことも一切していません。
すると、1ヶ月もしないうちに「トイレでやる」と急に言い始めました。
そして、トイレで用を足すことができました。
驚くべきことは、その日を境に、長男のオムツはとれたということです。
トイレット・トレーニングなんて言葉は一切当てはまらないような経緯です。
私の幼い頃のおぼろげな記憶では、小さい頃に、何度もおねしょをしてしまい、何度も何度もいやな気持ちになっていたように思います。
でも、不思議なことに、長男は、それ以降、おねしょを1回もしたことがありません。
次男も同じ方式で対応し、やっぱり、同じような経緯をたどりました。
(トイレットトレーニングは一切やっていません。)
そして、やはり、おねしょは1回もしたことがありません。
ということで、我が家の辞書から、「トイレット・トレーニング」という言葉は、きれいさっぱりなくなりました。
下の子は年少から幼稚園に行かせて、その1ヵ月後くらいに布パンツへの移行が完了。(幼稚園登園には間に合ってほしいと思いつつ、「幼稚園の先生、すんませんがよろしくね!」って心で思いながらのんびりと構えていました。)
離乳も指しゃぶりもオムツ卒業も、その子にとっての適切な時期が来たら、自然に実現されていくのです。
標準から、1年や2年くらいずれたとしても、その子の長い人生においては大した問題ではありません。
むしろ、標準に無理に合わせようとする方が、その子の人生に重くのしかかる心の傷を負わせる恐れが大きいのです。