
お前のために

私の経験
この「お前のために」という言葉は、水戸黄門の印籠のような意味で使ってしまっている人は多いのではないかと思います。
私の母親は、そうでした。
- お前のために、一生懸命○○したのに!
- お前のために、どれだけ我慢したと思っているの!?
これらの言葉の影には、「なのに、どうしてお前はありがたがらないのだ!?」というニュアンスが隠れています。
- 頼みもしていないのに
- 自分の気持ちを尋ねてもらうこともなく
- 母親の思いだけで勝手にしたこと
それを拒否したり否定したりすると、私は、母親にそうやって責められました。
更に、私の場合は、そこにもう一つの罠が仕掛けられていました。
母親がしてくれたことを受け入れてしまうと
- お前はカホゴだから、私(母親)がいないと、何も出来ない
という意味不明の責めを、近い将来受けなければならなくなるのです。
( ※ 参考 魔法の言葉 (サイト名:読むカウンセリング))
だから、母親のしたいようにさせて、それを受け入れてその場で責められることから逃れ、別の機会に「カホゴだ」と責められるというのが、子供の頃の日常でした。(酷い日常です。)
「お前はどうせ出来ないのだから何もするな!」と何もさせてもらえず、言いなりになると、あとで「お前はカホゴ(カホ子)だから何も出来ない」と責められる。
「○○ちゃんは、しっかりしている、自分でちゃんと出来るのに、お前は、カホゴ(カホ子)だから何も出来ない」。
何かをしようとすると怒られるので、何かをしようとするにも母親の顔色を伺わなければならない。
自由な心を見失ってしまっても仕方ない状況だったと思います。
( ※ 参考 「学習された無力感」 (サイト名:読むカウンセリング))
これは、大人になってからの解釈で、子供の頃の私は、母親から余計な世話をやかれても「そうか、これはボクのためにやってくれてるんだからありがたいことなんだ」と理解し、「お前はカホゴだから何も出来ない!」と責められれば、「自分は、自分では何も出来ない「カホゴ」と呼ばれるダメな存在なんだ」と自分を責めていました。
(カホゴじゃなくなりたい。そのためには、しっかりしないといけない。「カホゴ」と責められる度に、焦った気持ちになりました。ところで、「しっかりする」って何?でも、母親の話を聞いていると、「今の自分は、しっかりしていない」ということは確からしい・・・・。この「しっかりする」が、私を別の苦しみへと連れて行くことになるのですが、それは、別のところで説明します。)
このような日常的な母親とのやり取りによって身に付いた習慣が、将来の自分を苦しめることになりました。
私は、次のような傾向性を持つようになってしまったからです。
- 自分のために何かをしてくれようとすると、反射的にそれを断りたくなる
- でも、断わってしまうと、相手が怒っているように感じ、断らなかったら良かったと悔いる
- 自分のために何かされてしまうと、不快な気持ちが生じる。また、相手がしてくれたことに感謝する気持ちが起こらない自分の心を責める
ここには、「それをしてもらったら、自分が嬉しいかどうか?」「それをしてもらわない方が、自分がありがたいかどうか?」という一番大切な判断基準が、見事に欠落しています。
人から優しくされることのない人生を送りそうな反応です。
今は、そんな自分の傾向性に気づいているため、振り回されることは少なくなってきましたが、それでも、やっぱり反応してしまうこともあります。
私の親心
親の考えを押し付けないようにしてる?かな・・・・
それと、子供たちの肯定的な気持ちも、否定的な気持ちも、「そうかそうか」と聞いていきたいと思います。
私のように自分の気持ちを疑うようになってしまうと、それを「まっ、そんな気持ちにもなるわさ・・・」と思えるように軌道修正するのは結構大変だと思います。
だから、そんな苦労をしないように出来るのなら、そうしてあげたいと思っています。