
子供との関わり方の基本方針

子供が親のイメージ通りに行動できないのは当たり前
幼い子供には、実に沢山の未経験な事柄があります。
大人は、それに比べれば、本当に多くの経験をしています。
多くの経験を積み重ねた結果、それらの行為のひとつひとつに、最も適切だと思われる方法が思い浮かぶようになっています。
例えば、『コップに牛乳を入れる』という行為をとってみても、
そんなイメージを持っていて、大人は、ほぼ、そのイメージ通りに行動することができます。
そのイメージと比較すると、子供の行動は、かなり劣っているように感じてしまいます。
そこで、大人のイメージ通りに行動できるようになるように、あれこれと口出しをしてしまうことも多いのではないかと思います。
しかし、子供は、未経験のことをする場合、その一連の動作の中で何が起こる可能性があるのかということが全くわかりません。
親にあれこれ言われても、「何を言われているのか」を理解できないところがあると思います。
子供に限らず、大人でさえ、未経験の行動をする場合、それによって自分の身に何が起こるのかは、やはり、自分自身が経験してみないとわからないものです。
経験したことのある行動でさえ、その都度、どうなるか分からないところすらあるのですから・・・。
そして、望みを実現するための行動が、おっくうになる
それでも、親からあれこれ言われ続けると、もともと自分が実現したかった「牛乳を飲みたい」ということよりも、それまでの行為の方に意識が集中してしまうようになります。
最悪の場合、「親の言う通りに完ぺきにできないかもしれない・・・」ということにわずらわしさを感じて、自分の望みを実現することが面倒になってしまうことにもつながる可能性があるのではないかと思います。
望ませ、考えさせ、行動させ、経験させる
ですから、子供のうちは、
という経験を積み重ねさせてあげることが大切ではなかと考えています。
つまり、こういうことです。
- 自分に何らかの望みが生じたとき、
- 自分で一生懸命考えて、
- 自分が考えたやり方で対処したら、
- 何となくその望みに近いことができて、
- 何となく良かった(なんとなく満足した)。
という経験を積み重ねさせてあげることが大切だと思っています。
いちいち親が口出ししていたら、何かをするにつけて、親の顔色を伺うようになります。
やろうと思うことが、誰かの許可がないと出来ないような心理です。
「最近の若者は指示待ち人間が多すぎる」というように、指示待ちをする若者の責任のように語られることが多いように思いますが、親や社会が口出ししすぎるから、そうなったということが本当のところだろうと考えています。