今回の投稿は、前回の投稿「私が子供にイラッとするときとその理由」の最後で予告した内容です。
前回のおさらい
簡単におさらいすると、次のような説明をしたつもりです。(一部、付け加えています)
- 我が家の下の子供は、私と似た性質を持っている
- 私は、自分自身にあるその性質が嫌いなため、変えたいと努力してきた
- そんな私が、子供に同じ性質を感じたとき、自分を変えたいと思っているのと同じように、子供のそれを変えさせたいと思ってしまう
- そのような無意識的な心の働きによってイラッとしてしまう
- その結果、結局は、自分が抱えている苦しさを、子供にも負わせてしまうことになる
- それを回避するには、自分が自分の性質を変えたいと願う基となった心の傷(幼少期に自分が変わるしかないと思い込まされた体験とそのときのつらい気持ち)を理解し労って癒すことが必要
- それをしないで、ただ「自分の子供の為に自分が変わらなければならない」とか「子供にはこうしてあげたい」などと頑張ってしまうと、親自身を追い詰めてしまう
- 追い詰められた心のまま、親が子供に接すると、子供も追い詰めてしまうことになる
- その結果、親自身と子供の両方を傷つけることになる
- 子供は、その苦しさを、成人後も抱えて生きることになる
- 心の苦しさは世代をまたいで連鎖する
今回のおはなし
前回の投稿を書くときに、「下の子は、どうして、こんなに私と似た性質なのだろう?」と考えました。
今回は、ここをもう少し掘り下げます。
どうして、こんなにも似ているの?
上の子にも下の子にも、「泣いたら抱き上げる」ということを、ずっとやってきたので、親から責められ続けた私とは違った経験を積み重ねてきているはずなのに・・・。
後天的に身につけた性質とは考えにくい・・・。
生まれ持った性質なの?
それにしても、不安を感じる場面が、多すぎるような気がする・・・。
そして、不安を感じる場面が、似ているし・・・。
そんな風にしばらく考えていて、ある解釈を思いつきました。
遺伝 なのかもしれない!
遺伝を、大雑把に書くと、こんな感じになると思います。
- 体の特徴が伝わる。
- 本能的なものが伝わる。
- 性質が伝わる。
でも、今回、私が思ったのは、もう一歩踏み込んで、「私が生きていく中で身につけた反応性が、遺伝によって子供に伝わったのではないか」ということです。
極端な言い方をしてしまえば、「私の記憶が、遺伝によって子供に伝わったと言っても良いのではないか」ということです。
(記憶をもう少し詳しく書くと、「私が生まれた後、私の子供の卵子と精子と受精する前までの記憶」)
もし、そんなことがあるとしたら、
- 親が、自分の子供に「自分自身の嫌な部分」を感じる確率は高い
(逆に言うと、子供の個性は、親の性質からは完全に独立することはない)
ということになり、
- 親が、自分の子供を通して、嫌な自分に直面させられる確率は高い
- 自分のことが嫌いだと思っている親ほど、嫌な自分に直面させられる頻度は高くなる可能性がある
ということになります。
この解釈は、本当かどうかは分からないただの想像です。
でも、仮に、そうだとしたら、
- 子育ては、子供を通して「親自身の嫌な部分」との直面を強要されるため、大変なこと
である可能性があります。
特に、「自分のことが嫌い」とか「自分を変えたい」と思っている人にとっては、想像以上に大変なことである可能性があります。
ですから、子育てにイライラを感じたら、それを抑えて頑張ろうとするのではなく、前回の投稿「私が子供にイラッとするときとその理由」の後半で説明した「インナーチャイルドの癒し」的な思考で、そのときに自分が置かれていた状況や自分自身の気持ちを正しく理解し、そして、労ってあげることが大切です。
今回の説明は、現代の科学的な根拠を説明することはできません。
(仮に、遺伝だったとしても、先祖代々からの遺伝もあるでしょうし。。。)
でも、この考え方は、子供へのイライラで困っている場合には、きっと「使える解釈」にはなるだろうと思います。
最後に
今回の考えにつながった話を、私の別のブログに載せいています。万が一興味があればどうぞ。(読むと、この投稿の疑わしさが、倍増するかもしれませんが・・・)
- 「オオカバマダラの大移動と記憶」に関する妄想 (世代をまたぐ記憶のこと)
- 蟻の行動に関する仮説 (個体をまたぐ記憶のこと)
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