今の社会が抱える問題や現代人の苦しみの根本原因を突き詰めると、
- 大人が子供に優しくしなかったことが社会に返ってきている
ということだと思っています。
次のような場面を、少し考えてみてください。
この場面をもう少し細かく書くと次のようになります。
【親】
- 親が自分の論理を主張する
- 親の主張を子供が受け入れないと、親は感情的になる
- 感情的になった親は、その場だけを取り繕うために、「親に都合の良い解釈」 = 「親の言うことを受け入れないのは、悪い子供がする行動」 というを持ち出し、その解釈を子供に押し付ける
このような場面が繰り返されると、子供は次のような状況に置かれることになります。
- 本当は悪くないのに大人の論理で悪者扱いされる理不尽な世界の中で、子供は苦しむ
- しかし、その苦しみを口に出すと、「口答えをしている」と親から更に責められるので、苦しみを一人で抱え込むことになる
- そのような日々を送ることによって、子供は、「苦しみを一人で抱え込む」ことばかり訓練させられることになる
その結果、子供は「苦しみは我慢するしか無い」と信じ込んでしまい、苦しい気持ちになると
- 一人きりになりたがる性質
- 苦しさを抱え込み解消できない性質
- 仕返しをしたり、何かで見返そうとしなければ気が済まない性質
を植え付けられ、「自分の心」や「周りの環境」の中から問題を探し出し解決するということに執着しやすくなります。
子供と大人は別物ではありません。
当たり前のことですが、子供が成長して大人になります。
人は、法律でも定義されていたりするので、大人や子供(未成年)などと区別することを当たり前だと思っているところがあります。
しかし、実際には、その2つを区別する境界など存在しません。
大人も子供も、ただの人間だということです。
ですから、子供のときに身に付いた性質を大人が持っているのは当たり前のことで、大人になったからといって消失するものではありません。
そして、子供の頃に身に付いてしまったこのような性格の傾向が、自殺や犯罪やうつや人間関係の不和などの原因になると考えています。
荒れる社会
相手を追い詰める
たいていの人は、「自分の子供には、自分がつらかったことを経験させたくない」と願っているものです。
ですから、そのような状況を回避させたいと、子供をコントロールしようとするところがあります。
しかし、「子供に自分と同じようなつらい思いをさせたくない」という気持ちが強ければ強いほど、子供をコントロールしようとし過ぎて、逆に、子供を追い詰めてしまいやすくなります。
さらに、子供がつらい経験をすれば、
- あれだけ言ったのに、どうしてお前はつらい気持ちになるようなことをするんだ!お前は、つらい気持ちになることをする馬鹿だ!
といった具合に、つらくなっている子供に更なる追い討ちをかけてしまうことにもつながりやすいところがあります。
これらは、自分の子供に対してだけでなく、他の人に対しても同じように働く心理です。
本人には悪意は無いのですが、対する相手を追い詰めてしまいやすい性質を持つことになります。
何かに追い詰められる
子供の頃に、失敗したときなどに、親や大人から追い詰められることが多かった人は、追い詰められやすい性質を身に付けてしまいます。
失敗した時点で、子供の頃に経験した「失敗すれば酷く追い詰められる」という結末を予感してしまうためです。
実際には、失敗をかばってくれる仲間に囲まれていたとしても、追い詰められてしまいます。
現実に追い詰められる前に、過去の経験によって身に付いた予感(感覚)によって追い詰められてしまうのです。
荒れる社会
「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」という言葉があるように、生き物は、追い詰められると、何をしでかすか分からないところがあります。
本当ならば周囲に助けられて事無きを得るところを、子供の頃に身に付けた予感に追い詰められながら行動を積み重ねていった末に、結果的に犯罪的な行動に至ってしまったということは多いのだと思います。
- 他人を追い詰める傾向のある人
- 追い詰められやすい傾向のある人
が社会の中に増殖していった結果、追い詰められる人が増えていきますから、犯罪も増えていくことになると考えられます。
犯罪に至らなくても、社会は優しさの足りないギスギスしたものになってしまうことは、想像できると思います。
これが、「大人が子供につらく当たると、それが社会に返ってくる」と考える理由です。
「 現在に対する過去の加害者 」 と 「 未来に対する現在の加害者 」
現在の社会に対する加害者は過去の大人です。
ですが、このままでは、現在の大人は、未来の社会に対する加害者になってしまいます。
何の加害者かというと、「子供を加害者としての大人に育てた」という罪です。
悪い子供だから、親に口答えするのか!?
ここで、はじめの「お前は、親に口答えをするのか!?」と子供を責める場面をもう一度考えてみます。
「悪い子供だから、親に口答えする」という考え方は、本当に正しいのでしょうか?
私の家庭では、そう言われて頻繁に責められましたし、私自身も、自分のことを「親に口答えをする悪い子供だ」と信じてしまっていたところがあります。
一般的な家庭で、実際にはどうなのかは分かりませんが、「親に口答えをすることは悪いこと」という雰囲気は、社会に受け入れられているように感じています。
そのような社会の雰囲気が、「親に口答えをするな!」という言葉を親に使わせ、それを正当化してしまっているような気がします。
親がその言葉を使ったとき、親は正義となり、子供は確実に悪者にされてしまいます。
しかし、「悪い子供だから、親に口答えする」という解釈は、全くの間違いです。
これまでに何回か説明しましたが、正しい解釈は、
- 子供が親に口答えをしているのではなく、親が子供に口答えをさせている
というものです。(もっと突き詰めていけば、「子供の問題行動のほとんどは、子供ではなく、親や社会(特に教育社会)に原因がある」ということになるのですが、ここでは詳しい説明は省略します。)
つまり、親が変われば、
- 子供は、追い詰められなくなって、口答えをする必要がなくなる
- 子供は、自分の考えを口にしても、「口答えした」と受けとめられなくなる
のです。
【参考】
ちなみに、子供に感情的になってしまったとき、親はどのように対処すれば良いのでしょうか?
それは、何度も説明していますが、
- 親が、自分の子供の頃の苦しさに気づき理解すること
- 自分自身の心を癒すこと
- あまり考え過ぎないで、本能のスイッチを活用してみること
です。
結論
ということで最後に結論です。
難しいことではありません。
社会にとって最も大切なこと、それは、教育やしつけなど言って子供を責めてばかりいないで、大人たちは周りの子供たちにもっともっと優しくしてあげること。
たった、それだけのことだと思います。
【余談(1)】
テレビなどで、たまに、
- 若者の行儀の悪さは、「最近の大人は他所の子供を叱らなくなった」ということが原因だ
と真顔で語る人がいます。
でも、騙されてはいけません。
本当の原因は、子供たちの周りに優しく関わってくれる大人が少ないことです。
周りの大人にいつもうるさく言われていたら、そんな人たちの話は、もう聞きたくなくなります。
反発されたり、聞き流されたりすることはあっても、受け入れられることはまずありません。
周りの大人がいつも優しくしてくれていたら、「優しい人を怒らせてしまった・・・」と自らを省みて、相手の言葉も聞き入れるものです。
【余談(2)】
つい最近、日テレのドラマ「家族のうた」が3%台の低視聴率だと、ネットで話題になっていました。
(視聴率–> http://artv.info/ar1204.html)
でも、私は、心のことがよく描けている良いドラマだと気に入って、楽しみに見ています。
このようなとき、視聴率が3%台ということで、ドラマに問題があるような論調になるのは普通のことだと思います。
でも、違う視点から見れば、本当の問題は、
- 人々が、「心を大切に描いているドラマ」に興味を持てない人になってしまった
ということかもしれないという気がするのです。
視聴率という概念が崩壊しているだけかもしれませんが・・・
放送回数が3回短縮されて、次回最終回となってしまったようです、残念!
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