柔道の古賀さんが「五月病」をテーマに博士号と取得したということを聞いて、私も思っていることを、ちょっと書いておくことにしました。
私が考える「五月病の原因」を、一枚の絵で表すと次のようになります。

これって、結構ありがちな光景でしょ?
でも、子供がダラダラしているのを見つけてはガミガミ言っていると、子供の心に、五月病の種を植え付けることになると考えています。
なぜ、そう考えるかについて説明します。
「ダラダラしている」という言葉からは、良くないイメージを受けます。
「怠けている」と誰の目にも映ることでしょう。
だから、ガミガミ言ってしまいたい気持ちもよくわかります。
でも、ダラダラを別の視点から眺めると、違った風景が見えてきます。
やる気が起きない状態は、子供にとっても苦痛です。
「ダラダラするな!」と子供を責めがちな人は、そこを見落としてしまっています。
そんな苦痛に耐えながら、子供は、
- 「今の自分をワクワクさせるものは何?」
- 「心がワクワクすることをしたい!」
と自分の心と向き合っているのです。

ダラダラしている時間は、
- その時の自分の本当の望みに気づくための大切な時間
なのです。
ところが、「ダラダラしている」という視点でしか見れないと、それを見ていることに耐えられなくなって、「勉強しなさい!」「宿題しなさい!」などと、子供がダラダラしていない状態になるように指示をしてしまいがちになるのです。

以降、親に「ダラダラしないで勉強しろ!」と言う傾向がある場合を例に説明します。
親から「勉強しろ!」とガミガミ言われるのは、子供にとっては、とても苦痛です。
ですから、親にガミガミ言われれば、多少の口答えはしても、ダラダラする(その時の自分の望みと向き合う)のを中断して、勉強をすることになります。
勉強をしていれば、親から「勉強しろ!」と責められることから逃れられます。
また、自分から進んで勉強していれば、ガミガミ言っていた親が、逆に、優しくしてくれたりすることさえあります。
そのような経験を繰り返すうちに、「とりあえず勉強する」 ということが習慣になっていきます。
勉強することは、「勉強しろ!」と責める親から自分を守ることになるので、そんな習慣が身に付くのは自然なことです。
この習慣は、表現を変えれば、
- 勉強は親からの逃げ場になる
といえます。

たぶん、普通に考えると、「勉強は親からの逃げ場になる」と理解したところで、思考は終わってしまいます。
でも、前の「ダラダラするのは苦しいこと」の図で説明したことを思い出してみてください。

「ダラダラするのは苦しいこと」の図を思い浮かべると「勉強は、自分の本当の望みを探す苦しい葛藤からの逃げ場になる」ということが理解できると思います。
つまり、「本当の願いからの逃げ場」になってしまうのです。
普通に考えれば「自分の望み」からは逃げる必要など無いことなのですから、「どうして自分の気持から逃げるの?逃げる必要ないじゃない?」と不思議に思うかもしれません。
でも、本人たちも意識できないところで、そのような構図に陥ってしまうのです。
「やりたいことがわからない時には、とりあえず勉強する」という習慣で生きてきた子供は、
- 「自分の本当の気持ちと向き合って、その時々の自分の望みを見つけ出す」
という練習が不十分です。
そのため、大学に入学するなどして「とりあえずしておくこと」が失われてしまった直後、初めて、自分の本当の望みと、じっくり向き合うことになるのです。
訓練不足なので、うまく葛藤できません。
葛藤の苦しさにも慣れていません。
葛藤には苦しさがつきものなのに、自分が感じる苦しさの意味も理解できません。
葛藤の後に、「自分の本当の望みが見つかった!」という清々しさを感じた経験も乏しいので、葛藤は好ましくないことのように思えるでしょう。
そのような自分の本当の望みを見つけようとしているぎこちない様子を世間は、五月病と呼んでいるのだと思います。

最後にまとめると、
- 子供がダラダラしていたら、放っておくこと
- 放っておいた子供が何かを始めたら、それをやらせてあげること
そしたら、きっと、葛藤上手な人に育つと思います。
(教育社会の病理も関係していると考えているのですが、ここでの詳しい説明は省きました。)
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