下の子の3歳児検診のことだったと思うのですが、待ち時間がヒマで、子供がグズリ始めたので、ハンカチを折り紙のようにして、バナナを作ってやりました。
ハンカチで作ったバナナの皮を、一枚一枚むいていくと、最後に食べる部分が残るような感じのものです。
それを近くで、興味津々の眼差しで見ていた小さい女の子がいました。
その子は、嬉しそうな顔をしながら自分のハンカチを取り出しました。
そして、見ていたことを一生懸命に思い出しながらバナナを折り始めました。
「できた!」そんな声が聞こえてきそうな表情になりました。
そして嬉しそうに「バナナっ!」とお父さんを呼びました。
お父さんは、その子が床にベタッと座り込んで、ハンカチを床に広げている様子を見て、一言。
「汚いから止めなさい」
その子の顔から、さっきまでのあんなに楽しそうだった表情は、すっかり消えてしまいました。
子供の心の中で、自分にとって嬉しいこと が、自分にとって嬉しくないこと に変わってしまった瞬間です。
何が大事なのでしょうか?
- 子供が嬉しそうにしていること
- 子供が清潔にしていること
もちろん、清潔も大事です。
でも、それは、子供の笑顔を消してまで実現しなければならないこと なのでしょうか?
逆に、それは、子供の笑顔を消さなければ実現できないこと なのでしょうか?
たぶん、あのお父さんは、娘さんのあの笑顔には気づいていなかったのだろうと思います。
笑顔よりも先に、「地べたに座って、そこにハンカチを広げている」という状況の方が、意識の中に入ってきただけで、もし、娘さんの笑顔に気づいていたら、きっと、あの時のやり取りも変わっていたと思います。
つまり、「目の前の子供の笑顔に気づくか」、「目の前の子供の笑顔に気づかないか」の違いでしかないように思います。
子供が成長すると
例えば、遊んでばかりいる子供に、次のように言うのは、もっともなことだとも思えます。
- 宿題しなさい
- 片付けなさい
- 明日の準備しなさい
- 早く寝なさい
- ・・・・
親が、子供にそうして欲しいと願うのは自然な気持ちだと思います。
しかし、これらのやり取りは、最初に説明した例と、構造的には同じ状況です。
それらの言葉を子供に対して言う前に、子供の表情を見てあげることも大切だと思います。
- 目の前の子供は、嬉しそうにしていませんか?
もし、それらの言葉を四六時中言い続けていたり、それらを怒鳴っていう習慣があるとしたら、ちょっと気をつけた方が良いかもしません。
子供の心の中で、自分にとって嬉しいことが、自分にとって嬉しくないことに、どんどん変えさせられてしまっている心配があるからです。
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