「罰としての父親」と「罰としての私」
私の経験
幼児期の私は、父親には、ほとんどなついていませんでした。
(参考 普通ではなかった家庭 (サイト名:読むカウンセリング))
父親は、私にとっては日常的な存在ではなかったので、一緒にいると落ち着きませんでした。
一緒にいると、どうして良いのかわからず、不自由な感じになってしまいます。
父親は、食事などの用事が済めば、自分の部屋に戻って、テレビを見たり、本を読んだりするのが習慣です。
父親が、居間にいる間は、父親が優先される雰囲気があったので、私は、見たいテレビがあっても、見ることができません。
だから、早く自分の部屋に戻って欲しいと思ったものです。
かといって、嫌いだったかというと、そうではありません。
ただ、居心地が悪かった、どのように一緒にいれば良いのか分からなくて困ってしまうという感じでした。
その困る感じから逃れるために、父親が部屋に戻るまで我慢しきれないときは、自分が別の場所に行って、父親が部屋に戻るのを待っていたりもしました。
父親は、子供が苦手でした。
私が、実家に孫たちを連れて帰ったときのこと
孫たちが公園の砂場で遊んでいる様子を見て、私に、ボソッと言いました。
「子供って、特別なことをしなくても、こうやって遊ぶんやなぁ~~」
それを聞いて、父親は、私が子供の頃、子供とどう接すれば良いのかが分からずに困っていただけなんだと理解しました。
つまり、
- 子供は父親との接し方が分からず困っていた
- 父親は子供との接し方が分からず困っていた
ということになります。
そこで、母親は二人の仲を取り持ってくれれば良かったのですが、むしろ、私が父親になつかないことを喜んでいました。
「そんなあなたには、子供はなつかないわ」、そんな感じです。
つまり、私を利用して、父親を罰していたのだと思います。
そういえば・・・・
私が高校生のころから、犬を飼っていたのですが、そのときも同じで、「エサをやるときしか近寄っていかない」と愉快そうに私に言っていたことを思い出しました。
話を戻します。
逆に、私が母親の言うことをきかないと、「とうちゃんに言うよ!」と、父親を利用して、私を責めました。
この「とうちゃんに言うよ!」という言葉には、2人の中を、より遠ざける働きがあります。
そのような場面でそのように使われると、「母親が父親にそれを報告すれば、父親が私に恐ろしいことをするに違いない」と予感させます。
私は、次第に、父親の気配がしないかと、家の外や家の中のいろんな場所に神経を張り巡らせて、父親を避けて過ごすようになりました。
この父親を避けるために、自分の気配を消して息を潜める習慣が、今も、息苦しさのような心の苦しさのような感じになって、胸にこびりついてしまっている感じがあります。
私の親心
家に対する色々な考え方はありますが、私は、
- 何の緊張感も必要ない場所である
ということが一番大切だと思っています。
例えば、平気で屁をこけて、それを「くさいくさい」とか「良い音がした」とか言いながら笑い合えるような・・・・。
別件で、もう一つ。
- 子供に対して自分が怒っているときは、自分で怒る。
「お父さんからも、言ってやってよ!」、「お母さんからも、言ってやってよ!」は、ダメです。
自分が怒っていることを、別の誰かに言わせたら、言われた子供は、逃げ場を失い追い詰められてしまうからです。