大事なことを否定する
私の経験
私には、私の大切なことを、母親にはことごとく否定されてきたような気がしています。
それは、今でも、「自分が本当に大切に思っていることは、人には話したくない」という感じがあるからです。
去年の夏に、私の家族を連れて実家に帰ったときのことです。
何となく小学校の頃に仲良しだった友達のことを思い出して、「小学校のころ、○○君が、遊びに来てたやろ・・・」と話し始めたときに、「あぁ~、その子、私(母親)が作るおやつを食べるために、うちに来てたな」といわれて、そんな感じのこと言われ続けてきたことに気が付きました。
- 「そんなこと」して何になる
- 「そんなこと」する暇があったら、勉強しなさい
そんな言葉も繰り返されていたように思います。
私の大事にしていたこと、楽しくしていたことを、「そんなこと」って言い方しなくても・・・・。
いくつか思い出すことを簡単にご紹介します。
- 中学の頃、24時間テレビを見て感動した私は、募金に添える手紙を一生懸命に書いていました。それを見た母は一言。「そんなもん、誰も読まないんだから、書いてもしょうがない!」。私の中から「あんなにも手紙を書きたかった気持ち」は消し飛んでしまいました。
- 中学2年から3年になるときに転校することになりました。そのとき担任だった先生が、お別れの色紙を書いてくれたことを喜んでいました。すると母が一言、「あの先生は、私に気があったみたいだから、書いてくれたんだ」。私の嬉しい気持ちは、一瞬で萎えてしまいました。
「自分が本当に大切に思っていることは、人には話したくない」という感じは、「自分が大事にしていることを口に出すと、それは、大事なものではなくなってしまう」という予感を学習によって身にまとってしまった結果なのだと考えています。
しかし、「自分が大事にしていること」を他の人に話さなければ、他の人に「自分の大事にしていること」を大事に思ってもらうことは出来ません。
そして、「自分が大事にしていること」を他人にも大事にしてもらえれば、それは実現に向かって動き出すのだと思います。
「夢は、口に出さなければ叶わない」というニュアンスの一般的に知られているような言葉があったと思いますが、それは、そういうことを言っているのだと思います。
「オーロラがみたい」とずっと思っていました。
社会人になってしばらくしたとき、それを口に出してみました。
そしたら、同僚が「よし、行こう!」という反応し、冬休みの予定を合わせ、アラスカに行って、オーロラを見ることが出来ました。
口にしてから完了するまで、たった2~3ヶ月のことです。
そのとき、私は不思議な感覚を感じていました。
こんなに簡単に実現できることだったのに、私はそれを『夢』というものにしてしまい、ずっと、先延ばしにしてきたんだな・・・・
私の親心
子供がやっていることなどを客観的に評価するのではなく、そうしているときの子供の気持ちに意識を向けるようにしたいと思っています。
私 : 「○○を一生懸命にやってるんだね!」
子 : 「そう、~~~~~だよ」
私 : 「そうかそうか・・・。楽しいか?」
子 : 「うん、楽しい!」
私 : 「そうか、それは良かった!」
そんな感じです。
あと、口を開けば「勉強しろ、勉強しろ」とか「ダラダラしてないで、何かしたら」とかいうことも言わないつもりです。
「勉強しろ」は、「勉強をしなさい」という意味の他に、子供がその時にしていることを否定してしまう働きがあります。また、ダラダラする時間も、人にとっては大切な時間なのです。