奇妙な行動・奇妙な反応
ここでは、私が子供の頃に困った行動や状態を、理解しようとしてみます。
自家中毒
小学校の頃、小児科の医者に、自家中毒という病名を何度も告げられたことを覚えています。
(次のサイトは、簡潔にまとめられていて、分かりやすいと思います。 –> 自家中毒の治療と症状 )
そのときの自分の症状は覚えていないのですが、その原因を今から考えて見ると、たぶん、家でいつも母親に追い詰められていたことによるストレスなのだろうと思います。
ストレスの限界ギリギリのところでいつも踏ん張っていたから、何か他のストレスが掛かると、直ぐにストレスの許容限界を超えてしまう、そんな感じだったのでしょう。
この種類の原因を、親に説明しても、親は「自分を省みて改める」ということはほとんどないと思います。
少なくとも、私の母親に関しては、それは100パーセント断言できます。医師が説明しても、「私はこの子の為にちゃんとやっている!」と医師の言葉を聞き流してしまいます。
医師に「子供を救いたい」という気持ちがあったとしても、そこが限界なのだと思います。
うちの母親にとって、『自家中毒』は
- うちの子は心が細い
- 寝とけば治る
と同義語でした。そして、「お前の心は弱い!」と責められるのです。
そんな感じでしたから、吐き気を感じても不思議ではないと思います。
写生と涙
小学校3年のときだったと思うのですが、学校の写生会があって、風景の絵を描いていました。
私の絵を見て、先生が、屋根のところに陰があるから、それも描いたほうが良いと優しく教えてくれました。
なぜか、私の目には、涙が溢れてきました。
「先生に優しく教えてもらえる」というのは良いことのはずなのに、なぜか、涙が溢れてきたのです。
悔しい気持ちだったと思います。
たぶん、一生懸命に書いていたのに、否定されたような気がしたのかもしれません。
そういえば、前の年にこんなことがありました。
授業中、先生の手伝いで、何かを取りに行くために教室の外に行きました。
すると、隣のクラスの授業で、先生が、私が書いた絵をみんなに見せていました。
「おっ、褒めてもらっているのかな・・・」と思って話を教室の外から聞いていると、「これは、ダメな見本です。」という説明が聞こえてきました。
その時、どう感じたかは覚えていないのですが、普通に考えたら、そのときの私は、結構なショックを受けたと思います。
もしかしたら、そんなことが、写生会のときに思い出されたのかもしれません・・・。
それとも、家では母親から否定ばかりされていて、否定されないように心理的に追い詰められながら色々なことを一生懸命にやっていたのかもしれません。
それを否定されたら、やっぱりショックだったろうと思います。
まぁ、理由はともかく、その頃の私は、誰かに抱きしめられなければ、壊れてしまいそうな状態に、既になっていたのかもしれないと思います。
音読
小学校の国語の授業で、先生に当てられて音読すると、必ずといって良いほど、涙が溢れてきました。
これには、困りました。
「本を読むくらいのことで、なんでこんなことになるの?」
理由が分からないから、対処することも出来ません。
今から思えば、たぶん、毎日、泣きたい気持ちをこらえながら暮らしていたのだろうと思います。
だから、ちょっとした刺激で、抑えきれなくなって溢れてしまった。
そんな感じではないかと推測しています。
これは中学2年の頃まで続き、はっきり覚えていませんが中学3年で転校した頃に自然に収まったような気がします。
展覧会出品候補
小学校6年のとき、図画の授業で描いていた絵を先生が見て、「これ、市の展覧会に出品しよう、頑張って描くように」ということになりました。
ところが、あるとき、その絵のある部分に絵の具を塗りすぎて、それを修正しようとしていたら、その部分の画用紙がぼろぼろになってしまったのです。
私は、先生に、そうなったことを言えませんでした。
ずっと、見つからないように、こそこそとしていました。
でも、そのうち、見つかってしまいました。
「なんで、もっと早く言わなかったの!どうしょうもない子やな!」
先生に怒られました。
今の私がその場面に戻っていけたら、次のように言うかな・・・・。
せっかく頑張って描いていたのに、ボロボロになってきたときは、随分困ったでしょ。
「失敗は責められる」って感覚が身についちゃってるから、唯でさえ言いにくいのに、
展覧会に出すって言われてたら、余計に、先生に言えなくなっちゃうよね・・・・。
言いたいけど言えなくて、先生に見つからないようにしていたとき、きっと苦しかったよね・・・。
不安だったよね。
そんな気持ち、先生は、全然分かってくれなくて、「どうしょうもない子や!」ってただ怒るだけなんて、酷い先生だったね・・・。
家に帰っても、母親に話しても、抱きしめてもらえないし、また、嫌な気持ちをしばらく我慢しないといけなくなっちゃったね・・・。
間違いが分からない
小学校6年のとき、授業が終わると、「先生が黒板に問題を書き、それを正解した人から帰っていく」という日々の行事がありました。
ノートに答えを書いて、先生のところに見せに行き、採点してもらいます。
ある日、ノートを持っていくと、採点は「×」でした。でも、私は、どこが間違いなのか分かりません。
その頃の私には、「聞いたら教えてもらえる」という感覚は無く、「聞いても教えてもらえない。思っていることを言えば、責められる。」という感覚に支配されていたのだろうと思います。
しばらく問題を見ても間違いが分かりません。
分からないから、書き直すことができません。
「分からないから教えてください」ともいえない私は、同じ答えを、文字を書き直して先生のところに持っていきました。
当然、「×」です。
そんなことを何度も繰り返しました。正解しないと帰れないのだから、分からなくても行くしかありません。
で、終いには、私は先生に、
- 「この子は、自信過剰というか、強情というか・・・・」
と呆れられてしまいました。
その頃の私の心には、そんな言葉は、どんどん入り込んで蓄積されてしまうようになっていました。
「そうか、ボクは、強情な嫌なやつなんだ・・。そして、自信過剰という良くない人間なんだ・・・」
教育者であれば、「この子が、こんな行動をとるのは、どうしてだろう?」と理解しようとすべきだと思います。
子供のことを理解しようとせずに、「この子はこんな子供だ」と決め付けて終わらせてしまうようでは、教育者としてはどうかと思います。
無駄によく笑う
高校のとき、「お前、よく笑うなぁ~」と不思議があっれたことがありました。
そのときは分からなかったのですが、今から思うと、「笑う」という反応は、母親からの一方通行の話を、適当にやり過ごして、かつ、母親の機嫌を損なわないためのうまい方法だったのだと思います。
そういえば、母親は、話の合間合間に、意味もなく笑いながら話していました。
話の流れとしては、笑うタイミングではなく、また、話の内容としても、笑えるような話でなくても、そんな感じです。
私は、そのタイミングに合わせて、よく分からなくても笑っていたのでしょう。
そして、その母親の笑うタイミングが、私にも浸み込んでしまったのだと思います。
まとめ
心理的に追い詰められた子供たちは、日常の中で色々なサインを発しているのだと思います。
そんな家庭で追い詰められた子供たちのサインに気づける人、そして、救いの人となることができるのは、学校の先生以外にはいないと思っています。
(子供たちの日常生活に入り込めないスクールカウンセラーには難しいと思います。子供たちは日常生活の中で救われなければ、本当の救いにはならないと思うからです。)
その先生(私の小学校6年のときの担任)がこんな風では・・・・。
ちなみに、その先生、保護者の間では、絶大な人気のある先生でした。
学校の先生たちの心の中の業務文章に是非、次の1文を付け加えて欲しいと思います。
- 家庭で心理的に追い詰められた子供たちの良き理解者、そして、良き逃げ場(居場所)になること
ただ、そんなことに力を入れていると、保護者側が「勉強をしっかり教えろ!」と騒ぎ出すのかもしれません・・・。
困ったものです。
世の中の教育に対する洗脳は、いつになったら解けていくのでしょう・・・。
このままでは、人の心は、枯れていく一方なのに・・・。