やればできる子なんだから・・・
「やればできる」という言葉は、次の2つのようなパターンで用いられます。
- 子供が失敗して悲しんでいるときに、励ますときに使う
- 子供が親の思い通りの結果を出せず、親ががっかりしてしまったときに、子供を励ますかのごとくに使う
- 自分の子供が「できる子供である」ということを漠然と信じている(祈っている)
1は、いきなり使うと、苦しい気持ちの上に更なる課題を与えることになるため、子供の精神的な負担になります。
しかし、子供の感情を十分に受けとめた後に使えば、子供の「やりたい気持ち」を応援するように、背中をポンと押してあげることができると思います。
2は、親の都合で「やればできる」という言葉は、子供の能力を認めているような雰囲気を漂わせていますが、『褒める』と同じで、親の思う方向に、子供が動くように仕向けるために用いられます。
2は多少の問題を含んでいるかもしれませんが、1、2の使い方は、そんなに大きな問題はないと考えています。
しかしながら、「やればできる子」よりは、「やればできる」という方が良いと思います。
『子』をつけると、次に説明する3の意味合いを含んだような雰囲気になってしまうところがあります。
問題は『3』
- 人には、得意なこともあれば、苦手なこともある
- 人には、できることもあれば、できないこともある
- 人には、好きなことあれば、嫌いなこともある
- 人には、望んでいることもあれば、望んでいないこともある
- 人には、優しくなれるときもあれば、優しくできないときもある
- 人には、頑張れるときもあれば、頑張れないときもある
- 人には、機嫌の良いときもあれば、不機嫌なときもある
- 人には、元気なときもあれば、落ち込んでいるときもある
- 人には、健康なときもあれば、病気のときもある
- 人には、成功するときもあれば、失敗するときもある
- ・・・・・
つまり、時と場合によって、できることや状態は様々だということです。
また、その対象によっても変化します。
これは、当たり前のことです。
しかし、「お前はできる子だ」と言ってしまうと、時と場合による変化が許されないことになってしまいます。
そして、その対象を曖昧にされ明示されないと、対象による変化が許されないことになります。
その結果、目の前に提示される課題の全てに対して、自分の望みとは関係なく、頑張らざるを得なくなるような心の習慣を身に付けさせる恐れがあるのです。
そのような言葉ばかりを子供に投げかけ続けると、
- 自分の望みのないところばかりを頑張り続けてしまう
- 頑張れないときに手を抜けない
といったような苦しい人生を背負わせてしまうような影響力を秘めた言葉なのです。
ですから、子供に何かを漠然と期待するのではなく、子供の興味や能力を子供から教えてもらい、それを応援してあげることが大切だと思います。
何を応援して良いのかが分からないときは、無理に能力を伸ばすなんてことは考えずに、ただ、子供の感情に寄り添いながら、見守ってあげれば良いのだろうと思います。