我慢
私の経験
私の母親にとって、『子供に我慢することを覚えさせる』ということは、重要だったようです。
これも、幼稚園の頃の記憶だと思います。
『パタンタ』という小麦で作られている粘土がありました。(次のページに画像がありました –> ここ)
赤・青・黄色くらいの色がついていて、灰色のような緑色のような色をした油粘土しか知らなかった私には、とても魅力的だったようです。
記憶にはないのですが、たぶん、おもちゃ屋の前で、「買って欲しい!」と泣いたり寝転がったりして頼んだと思うのですが、結局買ってもらえずに、家に帰ってきました。
私の心に残っているのはここからです。
買い物から帰った私は、とても悲しい気持ちです。
「さんざん泣いたあとで、ようやく泣き止んだ」というような感覚を薄っすら覚えています。
でも、「『パタンタ』は買ってもらえない」という諦めの気持ちにはなっていました。
私は、いつものように一人ぼっちで、
- パタンタを買ってもらえなくて悲しい気持ち
- 母親から「わがままを言うな、我慢しろ」と責められた悲しい気持ち
を薄れさせる(感じなくする)ように油粘土で遊んでいました。
しばらくして、母親が私を呼びました。
そして、水屋(食器棚)の上からあるものを手にとり、それを私に渡しながら言いました。
「よく我慢できたね、はい、パタンタ!」
この母親の対処は、一般的に見ても、たぶん、最悪だと思います。
我慢したら買ってもらえる?
買って欲しいと気持ちを言えば我慢しろと拒否されて、泣きながらあんなにお願いしても聞いてもらえず、泣き止まなければ「わがままだ」と放っておかれて、我慢して気持ちを収めようとしていたら買ってもらえる。
『自分の気持ち(願い)を叶えるためのルール』が見出せない。
今の私なら、「そんなつじつまの合わないことはするな」と、その母親に言えるのですが、子供の頃の私は、見出せないルールに従わなければ、母親が支配する世界では生きて行けない。
ここまで、書いていて、ちょっと、理解できた出来事があるので書きます。
小学校4年の頃だったと思います、クリスマスに「プレゼントを買ってやるから何が欲しい?」と聞かれて、私は「釣竿」と答えました。
それに対して「どんな釣竿?」と聞かれたとき、もうそれ以上のことは、何も言えない気持ちになってしまいました。具体的なイメージはあるのに、それが言えなかったのです。
「買ってやる」って言われているのに・・・・、買って欲しいものがあるのに・・・・、
それが言えない
それを言おうとしても、その言葉が胸の辺りで引っかかって、言葉はそれより先に進もうとしない
まるで、「あなたは動けない、あなたは話すことができない」と催眠術をかけられたような・・・
体や心が固まったようになってしまって、身動きができない
「自分の本当の望みを言えば、また、責められることになる」と感じていたからなのでしょう。
そして、その感覚は、「クリスマス」という「特別なことが起こっても不思議ではない」という雰囲気を作り出す魔法の言葉によっても打ち消されないほど、心の奥底に刻み込まれていたのだと思います。
「クリスマスは、いつもは買ってもらえないものを買ってもらえるのだけれど、それを自分が望むと我慢しなければならなくなる」
「この子は、はっきりとせん子やね!」
「欲しいものがあるんだったら、はっきり言いなさい!」
そんな反応をするようになってしまったのは、パタンタのときのような母親とのやり取りが繰り返されたことが原因だろうと思います。
そして、母親との関わりの中で身についた反応をしていると、また、そのことを責められる・・・。
よく頑張って生きてきたと思います、私・・・・
私の親心
私の母親は、論理的に考えられないのに、子育ての一般論を真に受けて、それらの断片を私で実践しようとしたために、トータル的には論理破綻した子育てになってしまったのです。
ですから、私の親心としては、「子育ての手本に沿う、そして、不足があればそれを矯正する」ということではなく、「それぞれの子供の成長の流れに沿う、そして、それを理解する」という方向性で、子供たちと関わっていきたいと思っています。
まっ、簡単に書くと、子育てのことをあれこれと難しく考えないということです。