今回は、『正しい言葉』を遣わせる(その1) でご紹介したエピソードでは、下の子が「うらやましい」という意味で「ズルイ」という言葉を遣い始めたのに、その言葉を繰り返している内に、兄のことを、本当にズルイ人間だと思うようになってしまいました。
自分の気持ちを表現するための言葉を間違って使ってしまうと、
自分が表現したかった気持ちが、
間違って遣った言葉がもともと持っている意味で置き換わってしまって
自分の気持ちが分からなくなる
今回は、この辺りのことも踏まえて、誤った言葉を遣うことによる弊害について詳しく説明します。
1.心が苦しいと感じてしまう原因
心理カウンセリングに来られる方は、大きく次の3つに分かれます。
(1) 大抵のことは身近な人に相談して楽な気持ちを取り戻すことが出来るが、たまたま、話を聞いてもらえる人がいない状況に置かれている
(2) 大抵のことは身近な人に相談して楽な気持ちを取り戻すことが出来るが、身近な人には話しにくいことで悩んでいる
(3) 自分では心の苦しさを解消できない
ちなみに、私がブログなどで情報を発信している目的は、(3)の状況に陥っている方が、(1)又は(2)の状態に変化し、心理カウンセラーという特殊な人で無くても、身近な人との関わりの中で、楽な気持ちを取り戻せるようになるきっかけをつかんで頂くことです。
(1)、(2)に当てはまる方は、話の要所要所で、ご自身が感じたことや感情を自然に表現します。
そして、感情を吐き出すことによって、楽な気持ちを取り戻していきます。
ところが、(3)に当てはまる方の多くは、ご自身が感じたことや感情は表現しません。
ここからしばらく、心理カウンセリングの話をします。
1-1.心理カウンセリングの大まかな流れ
心理カウンセラーは、話の中に隠されている相談者の感情に意識を向け、相談者の焦点が感情に合っていくように話を聞こうとします。
これを「感情の明確化」といいます。
(3)に当てはまる方に対して、「感情を表現することを拒んでいるのではないか」と感じることもあります。
余りにも感情を表現してもらえないので、「その時どんな気持ちになりました?」と質問しても、それには答えて頂けずに、直ぐに、事実(経緯やその解釈)の話に戻ってしまうようなことが多いからです。
そこで、感情を表現してもらえるように様々な工夫をして、感情を表現されたときには、「そうでよね、○○な気持ちになりますよね」というように応答していきます。
そんなやりとりを繰り返す中で、
- 自分の気持ちを表現しても責められたり、否定されたりしない
- 自分の気持ちを表現すると、少し楽になる
という体験を積み重ね、相談者は、自然に自身の感情を表現できるようになっていき、
それに伴って、心の苦しさだけに囚われる毎日から解放されていきます。
これが、私の考えている心理カウンセリングの大まかな流れです。
1-2.子供との関わりとの対比
「(3) 自分では心の苦しさを解消できない」という状態に陥るには、理由があります。
詳細は説明しませんが、ここでは、次の大前提を確認しておいて下さい。
- 生じた感情を適切に排出することが出来れば、心は直ぐに楽な状態を取り戻す
- 感情を排出せずに蓄積していると、「心が苦しい」と感じる状態に陥る
違う表現をすると、
- 何らかの出来事によって悲しい気持ち・つらい気持ちになっても、その感情を誰かに見守られながら排出すれば楽な気持ちを取り戻せる
- 何らかの出来事によって悲しい気持ち・つらい気持ちになったとき、誰にも話さずに抱え込んでしまうと、苦しい気持ちはなかなか回復しない
これは個人の持って生まれた性質というよりは、次のような経験(特に、親子関係の中での経験)の違いからきています。
- 子供の頃に、「悲しい気持ち・つらい気持ちを話せば受けとめてもらえる」という関わりを繰り返し体験した。
- 子供の頃に、悲しい気持ち・つらい気持ちは一人きりで我慢するように強いられた
人が「穏やかな気持ち」を取り戻すためのもっとも効率の良い方法は、感情を排出することです。
親が誤った子育て論を鵜呑みにすると、「わがままを許してはいけない」「きちんとしつけなければならない」と、子供が泣いていると「抱きしめる」以外の対処をしがちになります。
その結果、子供は、悲しくなったりつらくなったりすると、
- 自分の心が弱いからだ
- 自分の心に問題があるからだ
などと考えてしまい、いつまでも、心を穏やかな状態に回復させられない大人になってしまうのです。
ですから、自分の感情に気づき、それを適切な方法で排出することは
とても大切なことなのです。
ただ、「怒り」は別物です。
2.怒りは感情ではない
2-1.怒りは排出するとエスカレートする
前に書いた、
- 何らかの出来事によって悲しい気持ち・つらい気持ちになっても、誰かに見守られながら、感情を排出すれば楽な気持ちを取り戻せる
に従って、怒りを排出すれば、どうなるでしょう?
怒りを表現しても穏やかな気持ちを取り戻せずに、むしろ、表現すればするほど怒りがエスカレートしてしまうところがあります。
なぜ、怒りには、
「感情を排出すれば穏やかな気持ちを取り戻す」という法則が
当てはまらないのでしょう。
2-2.怒りを排出しても楽にならない理由
それは、「怒り」は感情ではないからです。
一般的に、感情の種類を表現するときに
「喜怒哀楽」という言葉が用いられるので、
誰もが「怒り」を感情だと錯覚しているところがあります。
でも、怒りは感情ではないのです。
「怒り」の裏には、必ず、「『望み』と『結果』のギャップによって生じた感情」が潜んでいます。
(多くの場合、それは悲しみの感情です。)
そして、この怒りの裏にある感情を排出すれば、
怒りは治まり、穏やかな気持ちを取り戻すことができるのです。
2-3.怒りの正体
自分に生じた感情は、どんな感情でも排出せずに抱えることは苦しいことです。
そんな感情を抱え込む苦しさを、自分に投影すれば自分を責めるようになります。
また、他者に投影すれば防衛本能が働き、
他者を責める(攻撃する)ようになったり、
他者を回避する行動をとったりするようになります。
つまり、「怒り」の正体は、
- 自分を苦しめる感情を生じさせそうな体験から自身を守る行動を起こさせるために生じる感覚
と考えることができるのです。
(「怒り」については、ブログ「読むカウンセリング」で、別途、考えてみたいと思っています。)
補足
「投影」という心理用語を私なりに簡単に説明しておくと、
- 不快感が心の磨りガラスとなり、それを通して見たときに焦点が合ってしまったことが、その不快感の原因のように思えてしまうこと
となります。
少し違うのですが、例えば、「ひどく歯が痛むときに、機嫌が悪くなり、普段は何でもないことなのにイライラした気持ちになってしまう」ということに似たところがあります。
正確な説明は、ネットなどで調べてみて下さい。
次のページの説明も参考にしてみて下さい。 精神分析的な解説
3.因果関係(解釈によって作り出される原因)
3-1.ここまでの説明のポイント
ここまでの説明を整理すると、「1.心が苦しいと感じてしまう原因」では、
- 感情を排出せずにため込んでいると不快な感覚を抱えてしまう
ということを、
「2.怒りは感情ではない」では、
- 不快な感覚を他者に投影すると、自分に生じている感覚を他者に対する怒りと解釈してしまう
ということを説明しました。
3-2.因果関係
この世界には「自分に苦しみを感じさせる原因の候補」は無数にあります。
そんな無数にある候補の中から、「それが苦しさを感じさせる」と自分自身が納得できる解釈が頭の中で成り立ったときに、人は、それを苦しさの原因と考えます。
解釈に当たっては、各自の「経験」・「意識の向きやすい対象」・「それまでに蓄積した知識や情報」・「その時に気がついた事象」など多くのことが関係しているので、「心の苦しさ」の原因に対する解釈には、様々なバリエーションが生じます。
同じ種類の「心の苦しさ」を抱えていたとしても、人によって原因と考えることは異なってくるということです。
コンプレックスは、この分かりやすい例です。
自分の容姿にコンプレックスを感じて悩んだり、自分の能力にコンプレックスを感じたり・・・
容姿にコンプレックスを持っていたとしても、その対象が、顔であったり、体型であったり・・・
それをコンプレックスにしてしまっている理由が他人には分からないのは、このようなことが関係しているからです。
3-3. それぞれの人にとっての真実
「3-2.因果関係」では、
- 「心の苦しさ」と「原因」は、人それぞれの解釈によって結びつけられる
と説明しました。
そのようにして、一旦、つじつまの合った解釈が成立してしまうと、「心の苦しさ」・「原因」・「解釈」は一体化してしまい、そこから意識が離れなくなってしまいます。
これが、いつまでも悩み続けたり、何かに執着し続けたり、何かを恨み続けたりしている状態です。
その因果関係について繰り返し考えていると、それは自己暗示として働き、「心の苦しさ」・「原因」・「解釈」の結びつきは、本人の中では「真実」となってしまいます。
本人にとっては「真実」と思えるのですが、他人からは、
- その解釈はつじつまが合っていない
- 遣っている言葉が曖昧でよく分からない
- いつまでもそれにこだわる理由が分からない
と感じてしまうものです。
普通の人は、感情ではなく、因果関係の方に意識が向いてしまっているので、自分にとっての真実をいくら説明しても、理解してもらえず、また、感情を排出することもできません。
このような心理状態に陥ると、自分自身も、自分の感情には意識が向かなくなり、その感情を排出することも出来ずに、いつまでも苦しい気持ちから解放されなくなります。
4.「正しい言葉」と「誤った言葉」
4-1.正しい言葉とは
この説明での「正しい言葉」とは、自分の気持ちを明確にする言葉です。
- もともとの望みを自覚できる言葉
- 自分にどのような感情が生じているのかを自覚できる言葉
【例】
- ○○であって欲しかったのに、そうならずに悲しい、つらい
- ○○にならないで欲しかったのに、そうなってしまって悲しい、つらい
強い感情によって一時的に混乱に陥ったとしても、
もともとの望みが意識できているので、気持ちが治まれば、必要ならば、再び、その望みに向かって歩み始めることができます。
さらに、感情を表現する言葉を口にすることによって、生じた感情を排出し、心を穏やかな状態に戻すことができます。
4-2.誤った言葉とは
「誤った言葉」とは、自分の気持ちを隠してしまう言葉です。
- もともとの望みを自覚できない言葉
- 自分に生じている感情を自覚できない言葉
【例】
- あいつを許さない
- あいつは卑怯者だ
- ひどいことをされた
- あんな経験は二度としたくない
これらは、次の3つに分類される言葉を用いています。
- 否定的な意味を持つ分類を表す名詞名
- 否定的な意味を表す形容詞
- 解決策としての行動を示す動詞
このような言葉を遣うと、もともとの望みに焦点が定まりにくく、生じた感情のせいで望みがそれてしまいやすくなり、更に、感情を回復させるための目標を自分の望みと思い込みやすくなります。
このようになると、感情を排出できなくなり、なかなか穏やかな気持ちに回復しないので、「感情を回復させるための目標」に執着しがちになります。
また、「感情を回復させるための目標」に執着すると、それを実現する方法ばかりを考えてしまい、感情を排出することには全く意識が向かなくなります。
その結果、「感情を回復させるための目標」への執着が感情の排出を妨げ、感情が排出されないから「感情を回復させるための目標」に執着するという悪循環に陥って、苦しさは日に日に強まってしまいます。
また、初めにその言葉を遣ったときの自分の気持ち以外に、その言葉がもともと持っている意味まで、あとから付け加わってしまいます。
安易に「誤った言葉」を選択する習慣が身についてしまうと、自分の望みや感情に気づきにくくなってしまいます。
子供が成長していく中で
- 「本当の自分が分からない」
- 「自分の気持ちが分からない」
といった苦しみを抱えるのは、「誤った言葉」を選択する習慣が影響していると考えることができます。
5.親の役割
子供が「誤った言葉」を使ったとき、その言葉に隠されている
- 子供の望み
- 子供の感情
に気づき、それらを子供の口から言わせてあげることです。
そして、子供が望みや感情を口にしたら、
- そうか、そうしたかったんだよね
- でも、そうできなくて、悲しいんだね
と聴いてあげることです。
親がそのように接していれば、子供は、自分の感情に対処する方法を身につけることができると思います。
また、感情を吐き出させてもらえるということは、子供は「自分の感情を大切にしてもらえた」と感じ、「自分を大切にしてもらえた」という経験になります。
そのような経験を積み重ねることができれば、子供が成長して大人になってからも、自分に様々な感情が生じた時には、あれこれと難しいことを考えなくても、自然な流れ(人に話して癒やされる)で穏やかな気持ちを取り戻しながら生きていけるようになると考えています。
逆に、子供の感情に意識を向けずに放置したままにして、
- 子供の経験を批判する
- 子供の行動を指導する
- 子供の行動の悪かったところを指摘する
- 「そんな風に感じなくてもいい」などと子供の感情を否定する
- 「そんなことは大したことではない」などと感情を和らげようとする
- 「次に頑張れば良い」と励ます
といった対応ばかりしていると次のような性質を身につけさせてしまいます。
- いつまでも穏やかな気持ちを取り戻せない
- 執着しやすい
- 根に持ちやすい
兄弟ゲンカを、感情に寄り添うことなく、「どちらが正しくて、どちらが間違っている」といったことで仲裁してばかりいても、同じような影響を及ぼしてしまうと思っています。
また、親の「感情を理解する能力」が低いと、子供は、自分の感情を理解してもらおうとして、出来事や経緯を論理立てて説明しなければならなくなり、出来事と感情を結びつける解釈ばかりに意識が向かうようになってしまいます。
その結果、出来事に対する解釈を「理解してもらえた」・「理解してもらえなかった」に関わらず、話すことで感情を排出できないために、生じている感情を抱え込んでしまう状態に陥ります。
このような感情以外のところへ関わる人には悪意はなく、アドバイスしたり励ましたりすることがその人になると本気で信じています。
これが、子供が「理由の分からない苛立ち」を親に感じることにつながり、また、反抗された親が、「なぜ、子供が自分に反抗するのか」が理解できない理由です。
6.心理カウンセリングについて
「3-2.因果関係」では、、
- 「心の苦しさ」と「何らかの対象」とが、「解釈」という接着剤によって結びついてしまう
といったことを説明しましたが、客観的には、
- 「心の苦しさ」が「原因となり得る対象」を見つけ出させ、更に、「心の苦しさ」が「見つけ出した対象」が原因だと納得できるように解釈させる
と理解することができます。
つまり、接着剤は「心の苦しさ」で、「心の苦しさ」が解消すれば、「心の苦しさ」を「投影する対象」を見つけることも、「心の苦しさ」と「投影する対象」とを結びつけるための解釈をすることも、必要なくなってしまうのです。
ですから、心理カウンセリングや催眠療法などで、感情のアンプリファイ(増幅)や感情への没入という技法を使って、感情の排出を妨げる堤防を決壊させて排出すれば、今までどうしてそのことで悩んでいたのかが分からなくなってしまうこともしばしば起こります。
感情を吐き出して頂くために、「誤った言葉」の中に隠れてしまった「本来の望み」や「感情」に気づいてもらう必要があります。
ですが、子供の頃に、「感情を吐き出して親に受けとめてもらう」という経験が少ないと、自分の本来の望みや感情に気づくことが、とても難しくなります。
なかなか自分の感情に意識が向かないからです。
で、感情以外のことを話していると、せっかく心理カウンセリングを受けていても、やがて意味が感じられなくなってしまいます。
感情に焦点が当たりそうになると「感情を否定されそうな感覚」が生じてしまうこともあります。
もともと心理カウンセリングは感情に焦点を当てようとするやりとりが中心になりますので、そのような感覚が生じてしまうと、心理カウンセリングが苦しくて耐えられなくなってしまいます。
将来、子供がそのような苦労をしなくても良いように、子供のうちに、誰かに、自分の感情を聴いてもらえれば、穏やかな気持ちが取り戻せるという体験を沢山させて上げて下さい。
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