
03. 自分の感情や感覚と正しく向き合える能力を身に付ける

自分自身に生じる感情や感覚は、快・不快に関わらず、いくら否定しても自分の内側から自然に生じるもので、自分にとっては絶対に正しいものです。
この真実を子供の心が理解しているかどうかは、その子の人生を左右してしまうほど重要なことです。
繰り返しになりますが、自分の感情や感覚は、たとえそれを否定したとしても、それは自分の内側から湧き出てきます。
ですから、感情や感覚を否定するという対処方法を身につけてしまうと、止まらない自分の感情や感覚を消し去らなければならないと、どんどん自分自身を追い詰めてしまいます。
そんな状態のとき、何らかの理由によって、他人の存在を肯定すれば、自己破壊(自虐、自殺・・)、逆に、自分の存在を肯定すれば、他者破壊(犯罪、暴力、殺人・・・)するしかなくなってしまいます。
子供に自分の感情や感覚と向き合える能力を身に付けさせる為には、親が、まず、子供の感情や感覚を肯定的に受けとめようとする事が大切です。
これは、そんなに難しいことではないのですが、意識していないと難しいことでもあります。
それは、子供の感情や感覚を、それがどのようなものでも、次のような基本姿勢で接してあげる事です。
ただ、それだけで良いのです。
感情や感覚が落ち着けば、親が何も言わなくても、子供は自分で勝手に解決できるのでから、これが必要最小限で、かつ、最強のサポートになるのです。
子供が困っているときに、次のような対応をしていたら、その対応は子供の感情や感覚を大切に扱っていないと自覚して下さい。
- 子供が困っている問題の解決方法を考えようとする
- 励ましたり、ポジティブな考えを伝える
もし、このような対応を続けていくと、子供は将来、
- 「こんな事で悩むのはダメな人間だ」と悲観しながら日々を送る
- 逆に、「もっとプラス思考にならなければダメだ」などと、前向きっぽい言葉で自分を奮い立たせて生きる
といった人生を歩ませてしまう可能性が高まります。
また、「辛い気持ちを人に話しても何の解決にもならないから、自分で乗り越えるしかない」と考える傾向を身につけさせてしまうことにもなります。
この自分ひとりで乗り越えようとする傾向は、苦しさに比例して大きくなってしまうところがあるので注意する必要があります。
苦しい状況に陥っても、根性で解決出来ているうちは良いのですが、もし、直ぐに解決できない問題に直面したり、些細だけれども沢山の問題を抱えてしまったとき、ネガティブな感情を否定することでは対応出来なくなってしまいます。
しかし、苦しい時ほど自分ひとりで頑張ろうとする傾向によって、子供が大人になったあと、『苦しさの中で孤立してしまうような人生』を過ごさせてしまうことになるのです。
- 子供が感情や感覚を表明している時は、子供の感情や感覚の対象ではなく、感覚や感情そのものを受けとめる
【補足】 03-01. 感情の混乱
感情には、次の2種類があると考えています。
(1)本来の自分自身の感情
(2)本来の感情を抱いた結末として経験したことが背景となった感情
この(2)によって、(1)が惑わされてしまうのです。
(2)は経験によって生じた2次的な感情なので、そこから開放されるためには、その感情の背景を理解したり、異なった経験をしたりすることが必要で、そのためには、正しいコミュニケーションを経験していくことはとても大切なことなのです。
逆に、正しいコミュニケーションを子供にプレゼントしてあげれば、(2)の感情によって、自分にとって最も大切な(1)の感情を見失わなくても済むのです。
ここでポイントとなるのが、不快・ネガティブなどに分類されている感情や感覚の扱いです。
不快な感情や感覚を否定してしまうと、「そう思ってしまう自分が悪い」という錯覚が人生をつきまとうことになってしまいます。
特に問題が無く生活していても、感情が混乱してしまったり、誤った価値観として記憶してしまうことは普通に起こることかもしれません。
しかし、自分自身が、それらを見直す能力があれば、いつでも、自分自身の力でリカバリーすることが可能になるのです。
- 主観(特に、感情・感覚)からの、客観の排除(真の主観を追求する能力)
- 価値観を主観と客観に分離する能力
それらの基本となるのが、コミュニケーションです。
【補足】 03-02. 子供の感情との向き合い方
では、親に何ができるのかというと、
ということです。
その為には、自分が子供の感情をどのように扱っているのかに気付こうとして下さい。
もし、子供の感情や感覚を否定しまっていたら、その感情を否定してしまう自分自身の経験の歴史を理解しようとし、まず、自分自身が癒されようとして下さい。
子供への対応は、子供がそう感じるのは当然のことだと位置づけて、子供がそう感じざるを得ない様々な背景を理解しようとすれば良いのです。
子供の感情と向き合うためには、子供が自分の感じる様々な感情や感覚を素直に表現できるコミュニケーションを家庭の中に造っておかなければなりません。
子供が何かに悩んで苦しそうなのに親にどうして苦しいのか話してくれないということがあれば、子供を話せなくしてしまっている背景が家庭の中にあることを疑ってみる必要があります。
もし、話しても仕方ないという雰囲気を作ってしまっていたとしたら、それを改めようとしなければ、子供に「話せ、話せ」と迫ったところで、子供は本当の気持ちを話せるはずがないのです。
子供の感情に動揺して、解決を急いではいけません。
子供を励ましたり、問題の解決方法ばかりを考えることは、意図していなくても、子供の感情を否定してしまうことになるのです。
「喜び」は、人生の宝です。
その予感につつまれるということは、人生は喜びと等しいことになります。
子供が喜んだことは、「子供が喜びという人生の宝を見つけたんだ」と認識して下さい。
そして、その気持ちを大切にしてあげようとすることは、その子供が、人生を、沢山の喜び予感で包んでいくことを手伝うことになるのです。
この喜びの予感さえあれば、その子供は死ぬまでずっと、自分の望みが叶うように、また、他人の望みと調和するように、自分の世界観を修正し続けていくことが可能になります。
そして、そのように生きていくことは、今の喜びを感じ、未来の喜びを予感しながら、子供自身の人生や、子供と関わる人の人生を、更なる幸せへと近づけていくことにつながるのです。
【補足】 03-03. 葛藤の楽しみ方
後悔しないためには、小さなことでも決断していくことが大切なのですが、心の中にある葛藤と上手く向き合えないと、決断することを放棄して、回りに流されがちになってしまうことがあります。
葛藤を感じているときは、あまり心地良い状態ではありません。
しかし、色々な気持ちの中迷っている時は、それらの全ての気持ちが自分にとって大切な気持ちなのです。
全てが大切だから、どれかに決められないのは当然です。
子供が何かに迷っている時は、ネガティブな感情も含めた全ての気持ちを当然のこととして受けとめ、「あなたが困ってしまう気持ち、とてもよく分かるよ」と言いながら、一緒に困ってあげるだけで良いのです。
そのように接することによって、子供の心に重くのしかかっていたネガティブな感情は、自然に軽いものに変わっていき、最後に課題が残った場合は、子供が自分で決断し解決できるようになるのです。
子供が結論を出そうとしているときは、次の2つを意識しながら、子供を見守ってあげて下さい。
- 自分の全ての気持ちが折り合える結論を探そうとすること
- その決断に関わる人たちが、実際に満足できる決断しようとすること
葛藤した結果、自分が手に入れることができるものがどちらを選んでも、自分の望むものが含まれているとしたら、イチゴのショートケーキとマロンケーキの選択を迷っているときのように、わずらわしい葛藤も楽しむことができるのです。
【補足】 03-04. 他人には助けてもらえないという感覚
一見、協力してくれているように思えるのですが、実際は、その全く逆のことをされているということがあります。 この考えは
- 「お父さんと仲良くしたい。」
- 「お母さんと仲良くしたい。」
- 「お父さんとお母さんが仲良しでいて欲しい。」
- という願いがある
日本の一般的な家庭では、父親の存在は、休日や朝晩などに限られている事が多く、子供にとっては『非日常の存在』というところがあります。
そして、子供は、父親に慣れていないことによる居心地の悪さから、父親と距離をとりたがることもあります。
しかし、母親が、そんな子供の様子を見て、子供が父親を避けようとすることに加担してしまうと、心の中にある『仲良くしたい』という気持ちを無視してしまうことになります。
また、人との関係性の中で自分の中に生じ違和感と向き合わずに、それをそのまま放置することを当たり前の対処として位置付けてしまいます。
その時は、母親の協力によって、子供が一時的に父親との距離を取れたとしても、子供が感じる「父親との間に感じる居心地の悪さ」が根本的に解決される訳ではありません。
その居心地の悪さを本当に解消するには、
- 自分の本当の気持ちと向き合い
- 何を望んでいるのかに気づき
- その望みを実現する方法を考え
- それを実行する
しかありません。
しかし、母親の協力(!?)によって、
- 自分の本当の気持ちと向き合わせてもらえず、
- 自分の本当の望みに気づくことができず、
- 自分に生じた居心地の悪さを放置してしまう
ということが繰り返された結果、そんな反応が
という習慣となり、そのモヤモヤは、
ことになるのです。
これは、とても深刻なことです。
子供のその後の人生において、『モヤモヤした苦しさ』は苦しさの増幅器のような働きをしてしまうのです。
ちょっとした問題によるストレスでも、それが『モヤモヤした苦しさ』を刺激すると、心に潜伏していた『モヤモヤした苦しさ』の感覚は膨れ上がって、ちょっとしたストレスによるちょっとした不快と一体化してしまい、それの全てがちょっとしたストレスによって生じた感覚であるかのように感じてしまいます。
このように、自分に生じる不快な感覚は、潜伏する『モヤモヤした苦しさ』によって増幅されてしまうので、目の前の現実のみによって生じる純粋な感覚が分からなくなてしまいます。
自分の感覚や感情が分からなくなり、目の前の現実が分からなくなり、自分の本当の望みと向き合うことも出来なくなってしまうのです。
そのような状態を続けていると、
というような『望み』というものを一切排除した思考を感覚として身につけ、ついには、問題や課題に直面するたびに、『モヤモヤした苦しさ』が勝手に増幅してしまって身動きが取れなくなるという状態に陥ってしまいます。
また、何も問題もない時でさえ、その『モヤモヤした苦しさ』は、心に重くのしかかるようになり、いつも、それに押しつぶされないように踏ん張っていなければならないような状態にも陥ってしまうのです。
そんな苦しい人生の種を、子供に与えてしまう恐れがあるということです。
本当の気持ちが、「仲直りしたい」、「仲直りできない苦しみから助けて欲しい」と願っているのに、逆の方向に協力されると、 親の見せかけの協力は、善意という覆面をかぶってしまい、子供に投げかけられます。
子供は、見せかけの善意という覆面に騙された結果、
- 自分が苦しい時に、そこから抜け出すために協力してくれる人は居ない
- 人の善意は自分にとってありがたいものではない
- 人の善意によって自分は救われることはない
というような感覚を身につけることになります。
これは、子供が成人し老いて人生を終えるまでの間、ずっと、その子供の人生に付きまとう、孤独感や人間不信感という苦しさの種となってしまうのです。
【補足】 03-05. 親に対する自分の気持ちの誤解
子供にとって最も心理的な距離が近い親が、子供に対して、その配偶者の愚痴ばかりを聞かせたときの影響を考えてみます。
日本社会では、一般的に、母親が子供との心理的距離が近いことが多いと思いますので、『母親の愚痴』を例として説明します。
というところがあります。
ですから、母親は、ただの愚痴のつもりで言っていても、それが父親の真実として子供の心に刻まれてしまうところがあるのです。
もともと子供には、
- 「お父さんと仲良くしたい。」
- 「お母さんと仲良くしたい。」
- 「お父さんとお母さんが仲良しでいて欲しい。」
という願いがあります。
しかし、母親から、父親に対する愚痴を繰り返し聞かされるうちに、自分の本当の気持ちに気付けないままに、お母さんと同じように、お父さんの悪口を言うようになってしまうのです。
自分の口で、父親の悪口を言っている訳ですから、
- 自分は、「お父さんのことが嫌い」と思っている
と本気で信じ込むようになってしまいます。
自分の本当の気持ちが、ますます分からなくなってしまうのです。
これが、子供の人生を支配するほどの深い心の傷になってしまうのです。
母親の不満や父親の不満はどうであれ、
ということを、父親も母親も肝に銘じておく必要があります。
愚痴を言うと、少しはストレスの解消が出来るかもしれませんが、現実が望ましい方向へ変化することは、ほとんどありません。
ですから、母親は愚痴るよりも、実際に、自分が満足する方法を考えようとすることが、自分の為にも、子供の為にも大切なのです。
父親も子供たちから孤立したままにするのではなく、母親に子供と仲良くなることに協力してもらえるよう依頼することも大切です。
また、父親は、家庭において
- 母親が満足を感じられるようなコミュニケーションにつとめること
- そして、もし、母親が不満を感じていることを知ったら、その不満を解消する為に協力しようとすること
が大切です。
それは、「母親のため、子供のため」ということだけではなく、父親自身にとって、家庭をより心地の良い場所へとしていくことに、つながるのです。
【補足】 03-06. 感情を受けとめる
言葉が通じる前~
(言葉が話せても、その意味を深く理解しようという心理が働くまではこちら)
- 長くても30分、ただ、「そうかそうか」とだけ言いながら抱いてあげれば、子供は泣きやんで安心した状態になる
- 「一見、子供が泣いている目的と思えること」に親が執着をすると、逆に、子供をそれに執着させてしまうことになる。
- 子供を脅しで従わせようとすると、自分の感情を表現しない傾向を身につけさせてしまう
■言葉が通じるようになってから
親が、子供に言葉が通じると感じるようになっても、
ということを認識しておく必要があります。
そして、子供の感情を否定せず、問題の解決ばかりに意識を向けずに、言葉が通じる前と同様に、子供の感情に寄り添うよう心がける事が大切です。
それは難しいことではありません。
子供の感情をそのまま感じれば良いのです。
子供が喜んでいるときは一緒に喜び、悲しんでいる時は抱きしめてあげれば良いのです。
親の価値観で評価することなく、課題の解決も後回しにして、ただ、そうすれば良いのです。
子供が助けて欲しいときに助けてあげることが大切です。
何を助けるのか?
それは子供の心です。
子供の心をどのようにして助けるのか?
それは、
- 子供が直面している課題の解決によってではなく
- 子供の心そのものを抱きしめることによって
助けるのです。
このことだけは、決して忘れないようにしてください。
【補足】 03-07. 心の自立
子育ての目標に、『社会で自立できる大人に育てること』という気持ちを持たれている親御さんは多いと思います。
でも、『社会で自立する』って立派なスローガンを掲げてしまうと、いざ、それを具体的に実践しようとした時に、「それって、いったい、どんなことなのだろう???」と困ってしまうことも多いのではないでしょうか?
ですから、「子育ての迷い」というのは、
と理解できると考えています。
『自立』という漠然とした言葉の呪縛から離れる為には、まず、「心の自立」という部分を押さえておくことが大切です。
「心の自立」という言葉は、心理に関する話題の中で用いられることが多いので、一度は聞いたことがあると思います。
次の3つに責任を持てる状態を「自立している」と表現されます。
- 自分の感覚や感情
- 自分の思考
- 自分の行動
これだけでは、分かり難いと思うので、少し例を書いておきます。
友達と喧嘩して、自分はスッキリしているにも関わらず、親が勝手に憤慨して友達の家に怒鳴り込んでしまっても、子供はそんな親の行動に責任は取れません。
(でも、結果として、友達からは、その責任を問われることになったりします。)
【例2】
友達と喧嘩して気持ちが治まらず、友達の家に怒鳴り込もうと考えていた時に、親が先に怒鳴り込んでしまっては、自分がした事にならず、やっぱりスッキリしませんし、起こったことの責任を自分が取る気にはなれません。
【例3】
大工さんになりたいと考えているのに、親の考えを押し付けられて大学に行っても、そこでの色々な出来事の責任は自分ではなく親にあるように思えてしまうことになります。
まとめると、「感覚や感情」、「思考」、「行動」の3つの内の、いずれか一つでも、他の人にとられてしまうと、心に満たされないような感覚や、誰かにコントロールされているような感覚が残ってしまうのです。
そして、そんな経験を繰り返していると、そんな感覚は、世界観としてその人に大きくのしかかるようになり、
- 「自分の人生は、自分の力ではどうすることも出来ない」
- 「自分の力では幸せになれない」
という世界に自分自身を追いやってしまうようになるのです。
逆に、「自分の力で幸せになれそうな予感」さえあれば、親がとやかく言わなくても、子供は勝手に社会的に自立していくことになります。
心が自立した状態だと、もし、何かに失敗したとしても、振り返る先があります。
- 自分は、本当はどのように感じていたのだろう?
- 自分の考えのあの部分が良くなかったのかもしれない
- 自分の行動のあの部分が良くなかったのかもしれない
これは、非常に重要です。
なぜなら、自分を振り返ることは、より良い自分へと変化していくことを手伝ってくれるからです。
ところが、心が自立していない(自立させてもらえない)と、振り返る先が無いので、何をどう変えたら良いか分からないと感じてしまうのは、当然のことです。
そんな悩みが続いてしまうと、苦し紛れに、自分が存在することが悪いというような結論を出さざるを得ない心境に追い込まれることもあるのです。
感情や感覚を見つめる際は、その良し悪しを云々するのではなく、そう感じてしまっても当然だという自分の背景を理解しようとして下さい。
【親の心得】
→子供が感じられるように助けようとする
→子供が考えられるように助けようとする
→子供が行動できるように助けようとする
→子供が望むことができるように助けようとする
- 子供の代わりに感じない/子供の感情や感覚を否定しない
- 子供の代わりに考えない/親の考えを押し付けない
- 子供の代わりに行動しない/行動できるチャンスを奪わない
- 子供の代わりに望まない/望むチャンスを奪わない
普通の文章で表現すると、
ということです。
【想像される子供の心への影響】
1.親が子供の代わりに感じること
- 自分が感じていることを理解しようとはせずに、自分の気持ちを伝えなくても、相手が何かを感じてくれることを期待するような身につけさせてしまいます。
- 自分の感情や感覚よりも、相手の感情や感覚に目が向いてしまいがちになって、他人の感情や感覚ばかりを想像するような傾向を身につけさせてしまいます。
- その結果、自分の感情や感覚を感じ難くなり、「自分自身がわからない」という感覚を身につけさせてしまいます。
- 自分が感じたことは、自分が解決しようとしなくても、他人が考えてくれるということを期待する傾向を身につけさせてしまいます。
- 自分の考えではなく、相手の考えをばかりを想像する傾向を身につけさせてしまいます。
- 「考えても仕方がない」という漠然とした諦めの感覚をいつも身にまとわせてしまうことになります。
- 自分が考えたことは、自分が何もしなくても、他の人が行動してくれるとことを期待するような傾向を身につけさせてしまいます。
- 「自分で行動しようとしても無駄だ」と感じ、自分で行動し難くくさせてしまいます。
- 自分は何もしないのに、相手の行動を批評してばかりいるような傾向を身につけさせてしまいます。