「自分自身が、感じていること」これは、誰が何と言おうと、自分自身にとっては、正しいことです。
このことに対して、「自分は、どうして、そう感じるのだろう・・・」と考え始めると、迷いの淵へとはまり込んでいってしまうのです。
自分の感覚や感情に対して、「どうして?」という問いかけをすることは、その原因を考えているという錯覚を与えます。
それは、「どうして?」という 言葉には、2つの意味が含まれていることによるのかもしれません。
次の文章を見ると、そのニュアンスの違いが確認できるかもしれないと思います。
小さな子供が、泣いていました。それを見た母親は言いました。
①「どうして、泣くの?」
②「どうして、泣くの!!」
それぞれのときの、女の子の心境は、容易に想像できるのではないでしょうか?
多くの人が、実際に自分に対してやってしまっていることは、②番目です。
そして、「そう感じる自分はダメだ!」と自分自身を責めてしまっているのです。
「悩むこと」や「考えること」が、「自分を責める理由探し」になってしまわないように、次のような文章を書いておきます。
文中の「○○○○」を埋めようとすることから始めることが大切だと私は思っています。
《例えば、「辛い」と感じているとき》
「自分が暮らしている世界を「○○○○」のように思っていたら、私が「辛い」と感じるのも無理はない」
と、自分自身をねぎらう
「自分が暮らしている世界を「○○○○」のように思っていたら、私が「辛い」と感じるのも無理はない」
と、自分自身をねぎらう
これは「諦める」ということではありません。
逆に、『「諦めなくても大丈夫なんだ」と心から感じるための準備』と言っても良いかもしれないと思っています。
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