最近、考えついた「人間関係に関する仮説」を紹介します。
この世に生まれたばかりの赤ん坊は、他人との関わり方を知りません。
赤ん坊と母親とのかかわりが、人間関係の基礎となると考えられますが、ここでは、その部分は省略し、次のステップについての考察を行います。
小さな子供は、家族との関わりの中で、「人と人とがどのように関わるものなのか」を理解していきます。
- 自分以外の家族の関わりを観察する
- 自分と家族との関わりを体感する
子供は、このような経験を通して、「人と人とは、どのように関わるものなのか」、つまり、「人間関係とは、どのようなものなのか」ということを、言葉では表せない感覚として身につけていきます。
私自身の体感からなのですが、この感覚は、そう簡単に消えるものではないようです。
恐らく、大きく変化することなく、人生を共にするようなものなのでしょう・・・。
ですから、このような感覚を身につける場である家庭で、人と人とがどのような関わり方をしているかということは、子供の人生にとって、とても重要だと感じています。
人間関係は大きく「共存」、「支配」、「孤立」の3つに分類できると考えています。
※この投稿の最後で、「共存」、「支配」、「孤立」のちょっとした説明をしています。
- 共存 : 人間関係とは共存関係である
- 支配 : 人間関係とは支配関係である
- 孤立 : 人間関係は無意味で、人間は孤立である
ほとんどの人は、「共存」、「支配」、「孤立」の内、1つの感覚だけを身につけるのではなく、それぞれの感覚が複合しており、家庭で観察し体験する人間関係の種類によって、その比率は変わってくると考えられます。
この際に、「支配」、「孤立」の感覚を強く身につけてしまった場合、将来の人間関係において問題が生じる可能性が高まります。
例えば、「支配」という感覚を強く身につけたとします。
「人間関係は、支配する人と支配される人との関わりによって成り立っている」という感覚です。
もし、そのように考えているとしたら、新たな情報を知れば、考えが変わる可能性はあります。
しかし、ほとんどの場合は、そういう感覚が身についているだけで、本人には「人間関係は、支配する人と支配される人との関わりによって成り立っている」という意識はありません。
ただ、「人間関係は、支配する人と支配される人との関わりによって成り立っている」という感覚だけがあるのです。
そのような感覚に包まれているのに、頭では「支配し、支配されるような人間関係は良くない」とさえ思っていたりするのです。
「いけないと思っているはずなのに、なくならない」ということで、何か思い当たることはありませんか?
「いじめ」 です。
誰もが、「いじめは良くない」と理解していると思います。
しかし、いつまで経っても、いじめはなくなりません。
なぜ、いじめは、いつまで経っても、なくならないのでしょう?
それは、身についた「人間関係は支配関係である」という感覚が関係していると考えれば、説明がつきます。
「人間関係は支配関係である」という感覚があるせいで、
- 支配者と被支配者という関係を成立させることでしか他の人との関わりが持てない
ということが、いじめの根本にあると考えられます。
ですから、何かのきっかけで、それまでいじめる側だった人がいじめられる側になったり、逆に、いじめられる側だった人がいじめる側になるような逆転も起こるのです。
体力・能力の優劣や、その時々の「たまたまの要因」などによって、「支配者の役割」と「被支配者の役割」が変わると考えられます。
しかし、これは大きな変化のように思うかもしれませんが、外から「いじめ」の枠組みを眺めれば、「いじめる人といじめられる人は、支配関係によって人間関係を成立させている」というところは、何一つ変わっていないのです。
さて、どのようにして、「人間関係は支配関係である」という感覚を、家庭の中で身につけてしまうのでしょう?
その代表が、「しつけ」です。
「厳しいしつけ」「厳しい教育」といった方が正確かもしれません。
「共存」の乏しい「支配」という言い方もできます。
「しつけ」の現場での人間関係は、教育者と被教育者の関係ということもできますが、まさに、支配者と被支配者の関係になっているのです。
親は「厳しくしつけをしている」「厳しく教育している」と思っているのですが、視点を変えれば、「支配」であり、ただの「イビリ」とさえ言えます。
つまり、「いじめは、家庭で覚えた『支配関係』という人間関係に基づいて、子供たちが人間関係を築いた結果として生じている」と解釈することができるのです。
親や大人が、いじめをしないように、子供たちを支配しようとすればするほど、いじめは増え続けるでしょう。
また、しつけや教育に熱心になって、子供をコントロールしようとすればするほど、いじめは増え続けるでしょう。
「いじめ」の根本的な原因は、「子供がいじめをすること」ではなく、「大人が子供に、支配による人間関係を教えてしまっていること」にあるのです。
「共存」、「支配」、「孤立」という人間関係の分類については、もう少し詳しく考えたいのですが、今回は、この辺で終わりにします。
補足
「共存」、「支配」、「孤立」を、簡単に書くと次のようになります。
(健忘録程度です)
共存とは、分かち合いながら生きること
- 人が喜んでいれば嬉しくなり、苦しみや悲しみを抱えていれば寄り添いたいと思う
- 嬉しいときには話を聞いてもらいたいと思い、苦しみや悲しみを抱えたときにはそばにいて欲しいと思う
- 過ちは許し、許される
- 共存者全体で所有し、分かち合う
支配とは、支配者による制約のもとで生きること
- 支配者の意に沿えば褒められ、反すれば罰せられる
- 支配者の意に沿わない気持ちは抑えなければならない
- 犯した過ちは許されず、罰を与えて矯正する
- 支配者が所有し、場合によっては、分配する
孤立とは、同じ空間に存在する人との関わり断って生きること
- 嬉しくて悲しくても、どのような感情が生じても放置される
- どのような行動をしても放置される
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