最初の子供を育てるということは、親にとっては、「初めての驚き」の連続だろうと思います。
そして、2人目、3人目・・・となってくると、いろいろな意味で、慣れてくるのは、普通のことだろうと思います。
この「驚き」と「慣れ」について、少し考えてみようと思います。
・新しく経験することとして、ちょっと思いつくことを、少し書いてみます。
1.喜びや驚き
- 子供が存在するだけで感じることの出来る幸福感
- 子供が何かが初めて出来たときの喜び・驚き
2.不安や苦しみ
- 子育ての不安
- 子供が自分の思い通りに行動してくれない事によるストレス
- 自分の時間を大切に出来ないような感覚
3.その他
- 親が発揮して欲しいと思う能力を子供に感じたときの満足感や、その逆の不満足感
- 「正しい子育て」ということを考えた時に感じる不安
- 他の子供と比較する事で感じる優越感や劣等感
他にもいろいろあると思います。そんないろいろな事に慣れていっているのです。
1.喜びや驚き
親は、第一子を育てるときは、
- どのタイミングで何が出来るようになるのだろう?
- うちの子供は、本当に、それができるようになるのだろうか?
などという気持ちの中で、子供を見守っているのではないでしょうか。
そんな気持ちの中で、子供を見つめる視線は熱く、また、それができるようになったとき の喜びも大きいものです。
でも、第一子を育てる中で、子供がどのように成長していくのかが、何となく分かってしまうところがあると思います。
すると、第二 子以降は、「もうそろ~ができるだろう」なんて予測がついてしまうので、どうしても、その喜びには差が出来てしまうように思います。
例えば、弟が、「ボクが自転車に乗れるようになった事、お父さんやお母さんは嬉しくないんだ・・・」なんて言ったとします。
親は、喜んでいるつもり なので、「何言ってるの、嬉しいわよ(微笑)」と言うかもしれません。
もしかしたら、「お兄ちゃんが出来るようになった時も、こんな感じに喜んだはずだけ どなぁ・・・」などと、過去の自分の反応を振り返ることがあるかもしれません。
でも、これは、親の論理な のだろうと思います。
弟は、お兄ちゃんと同じ時を生きています。
ですから、このような場面で、親が、お兄ちゃんに対する反応を振り返ることは、実は、あま り意味がないのかもしれません。
もしかしたら、最近、お兄ちゃんが、水泳で10メートル泳げるようになって、親が大喜びしたのを見ていたのかもしれません。
何が言いたいのかというと、弟は、「今、お兄ちゃんが貰っている」と感じている親の喜びと、自分が感じている親の喜びを比較しているのだろうということです。
親が意図していなくても、親にとってはただの『慣れ』も、子供には、『親の愛情の差』として受けとめられてしまう恐れがあるということを理解しておく事は、とても大切だと考えます。
まだ、慣れていない新鮮な事は、いろいろと心に飛び込んでくるだろうと思います。
そして、慣れるにつれて、気付かずに見逃している事も増え、また、 驚きも少なくなっていくのは、自然なことで、仕方ないと思います。
そこを、下手に努力でカバーしようとすると、芝居がかってしまってしまい、それを見抜か れて、違う誤解を与えてしまうかもしれません。
ですから、
- いろいろな事に気付いてあげようとすること
- 気づいた事には、自然な反応を示そうとすること
- もし、子供が物足りなさのような事を表現したら、親の論理だけで自分の反応を反省したり言い訳したりしようせずに、「子供が何を見て、何を感じていることが、その感覚につながっているのだろう?」というその時々の子供の気持ちに寄り添ってあげようとすること
は、大切なのかもしれません。
親にとっての『ただの慣れ』でしかないことなのに、子供が大人になった後も苦しみ抜いてしまうほどの心の傷を負わしてしまう事になるかもしれないということを深く認識しておく事が大切だと思います。
また、もし、自分自身に何か苦しい感覚があるとしたら、そんな事を考えながら、もう一度、自分のお父さんやお母さんとの関係を振り返ってみると、何かに気付くきっかけになるかもしれません。
すこし、長くなってしまいましたので、「2.不安や苦しみ」と「3.その他」についての詳細は、また、今度にします・・・、
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