言葉で表現することが苦手な人は、症状や問題行動が表れやすい傾向があるという見方があります。
しかし、当時の私は「心理の世界」と無縁でした。
また、症状による苦しみの真っ只中にいた私には、『この症状こそが問題だ』という問題意識は、実に正しい認識のように思えて、「自分の心に目を向けてみよう・・・」なんて考えは、微塵も起こりませんでした。
ですが、今から当時を振り返ると、当時の自分の気持ちを理解できそうな気がしています。
会社では、仲良くしてくれる人は、たくさん居て、楽しく過ごせていたという面はあったと思います。
でも心のどこかに、「自分なんて、しょうもない存在だ・・・」って感じがいつも付きまとっていたように思います。
だから、人と接するとき、「自分のことを、面白い人だと思ってもらえるだろうか?」という不安があって、人と会う前には、それが試されるテストを受けるような、嫌な感覚を感じることが多かったような気がします。
「人は恋しいのだけれども、その感覚は耐え難い」、それが正確な説明のような気がします。
表現を変えると、人に近づこうとすると、人からではなくその感覚から逃げたくなり、人から離れると寂しさに押しつぶされそうになるとういような、どちらに行くことも出来ない解決不能と感じられる状態に陥ってしまっていたということになると思います。
そして、たぶん、それを解決する為に無理やり考え出した方程式が、関西出身の私の中では、
- 『面白い』 = 『価値がある』
というものだったような気がします。
ちなみに、この等式には、人それぞれ違いがあって、
例えば、
- 過去に、認められることが多かったこと
- 最近、たまたま認められたこと
- 世の中で認められていると感じていることや「流行」
- たまたま、思いついたこと
などなど、いろいろなきっかけがあるように思います。
※このあたりのことは、別の機会に詳しく書いてみようと思っています
その方程式の左辺を成立させなければ、自分の存在価値はなくなってしまう、つまり、その頃の私にとっては、「死」を意味していたと思います。
そのくらい、その方程式を成立させることは、私にとって危機迫るものだったのです。
しかし、「死」というものを現実に選ぶことは、やはり恐怖でした。
「生きることは苦しく、死ぬことは怖い」、そんな気持ちの中で、心の歴史【開放編】の最初の「開放」へのきっかけの中で書いた、「他人の為に生きよう」という決断をしたのでした。
『「開放」へのきっかけ』の中で、私は、その決断のことを「寂しい決断」と表現したのですが、その言葉を使った気持ちが、今、分かったような気がしています。
それは、「生きたまま死ぬ」為の決断だったのかもしれません。
心の歴史【どん底編】・・・【完】
《補足》
しつこいようですが、私がこんな事を書いているのは、こんな私でも、普通の状態になれたのだから、(もしあなたが、同じように苦しんでいるとしたら)、「きっと、私も大丈夫!」という希望を持っていただく助けになることを願っているからです。
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