テレビで、小学生が自殺したというニュースが報道されるとき、しばしば校長の記者会見の状況が映し出されます。
大抵の場合、「いじめは無かった」と主張します。
このコメントを聞くと、わいわい騒ぎたがるマスコミは、なぜかわかりませんが、その言葉に納得して騒ぎ立てなくなります。
(余談ですが、「スクールカウンセラーを配置した」なんて言葉にも弱いようです・・・)
そんなロジックが、マスコミを絡めた世界では成立しているようです。
これって、大人に便利な理屈だということ、分かりますか?
特に学校関係者にとっての・・・。
「いじめがなかった」といえば、学校の責任は回避できます。「自殺した子供に原因があった」と言っているようにも聞こえます。
仮に、「いじめはあった」と言ったとしても、直接的原因をいじめをした子供に負わせることができ、学校側は「監督責任」という不明確な責任範囲に逃れることができるからです。
しかし、子供が自殺したとき、最大の原因は別にあると考えています。
それは、次の2つです。
- その子供が、そこまで苦しい気持ちに追い詰められていたことに、周りの大人たちは誰も気づかなかった
- そして、苦しさに押しつぶされそうになっている子供を、抱きしめようとする大人が一人もいなかった
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